出版不況により、ライターを廃業したニックはやむなく都落ち。
妻のエイミーは不満だけれど、付いていくよりしょうがない。

エイミーの両親は童話作家。
80年代に出版した「アメージング・エイミー」は大ヒットした。
シリーズは今も続いているが、売り上げは全盛期に遠くおよばない。

タイトルから察せられるように、このシリーズは愛娘エイミーをモデルにしたもの。
そのため少女時代のエイミーは、実在しないスーパー・ガール「アメージング・エイミー」と重ねて見られてきた。
何でも上手にこなす“アメージング”エイミー。
それに対し、本物のエイミーは可愛いけれども、どこか突出しているというわけではない。

虚像と実像との乖離に苦しみ続けたエイミー。
彼女の性格形成に少なからぬ影響を及ぼしたようだ。
これが後の“事件”のトリガーとなったのか……。

何不自由ない暮らしをしてきたエイミーも今や30代なかば、40代が見えてきた。
そろそろ“アメージング”から、“アンチ・エイジング”エイミーへ…などと言っている場合ではない。

夫のニックはエイミーに資金を出してもらい、地元でバーを始める。
ニックには一卵性双生児のマーゴという妹がおり、彼女が手伝うことになる。

マーゴも若い頃は羽振りがよかったが、バブル破綻の大波に転覆し、彼女も兄とおなじく地元へ打ち上げられた。
将来への希望を見いだせないまま、日々の暮らしに甘んじている。

ニック&マーゴの父親は認知症で、たびたび老人ホームを抜け出しては保護されている。
女性蔑視主義者で、耳をふさぎたくなるほどに汚い言葉を吐く。

さらに、この町のショッピングモールは廃墟と化していて、職を失った者たちの根城となっている。

。。。というわけで小説の舞台は、現代アメリカの負の部分の縮図となっている。
世界の覇者であるはずアメリカも、ひとたびメスを入れると病巣があちこちに見いだされるようだ。

小説の前半は、夫の言い分と妻の言い分が、かわりばんこに語られていく。
最初のうちは、ニックのほうがまともで、エイミーのほうに非があるんじゃないかという感じだったのが、読み進むにつれ、もしかしてこのダンナはとんでもなくひどい奴なんじゃないかと思えてくる。

そんな中、妻のエイミーが失踪する。
……とニックは言っているが、もしかしてニックが殺したのでは?
というふうに読めなくもない。
ニックは記者会見で、その場にそぐわない“キラー・スマイル”を披露したりするもんだから、ますます疑われるはめにおちいる。

果たして真相は……?
というところで上巻が終わる。

大急ぎで下巻へ。
これはびっくり。予想から何光年も離れた展開。
うーん、エンディングの座り心地の悪さも作者の計算のうちなんだろうなあ。

映画にもなっている。
デヴィッド・フィンチャー監督
ベン・アフレック主演。

このラインナップは期待して……いいのか?

(以下、引用です)
「形式的な手続きなんだ」ギルピンが言葉をつづけた。「抜かりがないようにするための。手を調べ、粘膜を採取し、それともしよければ車も調べさせて……」
「ええ、もちろん。さっきも言ったように、なんでも協力しますから」
「ありがとう、ニック。ほんとうに感謝するよ。ときには、われわれを困らせて喜ぶ人間もいるんでね」
ぼくはその真逆だ。子ども時代、ぼくは父の無言の非難にどっぷり浸かって育った。父はいつも不機嫌で、気に入らないものを探してまわるような男だった。そのせいでマーゴは、不当な非難を断固として突っぱねる自己防衛過剰な人間に育った。ぼくはといえば、権力に盲従する男になった。母にも、父にも、教師たちにも──なんだって協力します、サー(もしくはマダム)。ひたすら人に認めてもらおうとした。「あなたって、いい人だと思ってもらうためなら、嘘もつくし、人も騙すし、盗みも──というか、殺しだって──やりかねないわよね」とまえにマーゴに言われたことがある。
(中略)
マーゴがその言葉を言い終えるより先に、ぼくは思った。このことはずっと忘れないだろう、脳裏にこびりついて離れない瞬間のひとつになるにちがいない、と。

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