「あとから来たのに追い越され 泣くのが嫌なら さあ 歩け」
歌詞の内容は素晴らしい。
しかし文法的には疑問だ。
視点がずれている。

「あとから来たのに追い越され」た人を、仮にAさんとする。
「泣くのが嫌なら さあ歩け」と叱咤激励している人をBさんとする。

「あとから来た人に追い越されるのがくやしいのなら、歩きなさい」
とBさんは主張している、と考えることに異論はないと思う。

問題となるのは「あとから来たのに」の部分だ。
これはAさんの主観である。

Aさんはおそらく年功序列主義者なのだろう。
一方のBさんがどういう主義の持ち主なのかは分からない。
だが、少しは予測がつく。
Bさんは、Aさんに共感していない。
Aさんが
「あとから来たのに、あの野郎、追い越しやがって!」
と憤慨しているのを、Bさんは
「ふ〜ん、君ってそういう人なんだ?」
と、割と冷めた目で見ていることが
「泣くのがイヤ“なら”」の“なら”に現われている。

「追い越されるのってイヤだよね。分かる、分かる。だから、がんばろうよ」
とは思っていない。
もし思っているなら、Bさんは
「あとから来たのに追い越され 泣くのはヤだから さあ 歩こ♪」
あるいは
「泣くのはヤだよね じゃあ 歩こ♪」
と歌うはずだ。

また、そう歌ってくれれば、文法上もスッキリする。
だが、現状の歌詞では、前半部分はAさんの主観だったのが、後半になるとBさんの主観にスライドしている。
そのため、カラオケなどでこの歌を耳にすると、とたんに落ち着かない気分にさせられる。
どこかの部屋から、ダッダダダダッ♪ という、あの有名なボレロのイントロが聞こえてきたら、もうダメだ。
主観の“ねじれ”を何とかしなきゃ、と焦ってしまう。

“ねじれ”が発生すると分かっていて、見て見ぬ振りをするわけにはいかない。
ドアの影に潜み、息を殺してじっと待つ。
1番が終わり、2番が佳境に入っていく。
やがて問題の箇所にさしかかる。
「あとから来たのに追い越され……」
この一瞬を逃さず、すかさずに
「たと」
と、つぶやく。

……ミッション終了。
どうにか文法の“ねじれ”を修正できた。

日本のどこかで「水戸黄門のテーマ」が歌われつづける限り、
私の世直し行脚は今日も続く。。。むなしい。。。