日本レスリング界の偉大なる父・八田一朗氏の著作。
1964年12月10日発行。

1979年発行の「私の歩んできた道」と、内容が6〜7割ダブっている。
しかし、八田一朗ファンにとっては、未知の3〜4割を読めるだけでも幸せだ。
読んでいると勇気がもりもり湧いてくる。

もし八田氏が今の時代に蘇ったとしたら、本当にレスリング全階級を制覇してしまうかも知れない。

世に伯楽有りて、然る後に千里の馬有り

の言葉どおり、名コーチがついてくれたら優勝できるであろう「幻の金メダリスト」が何人埋もれていることか。
また、名コーチがいなかったばかりに金を逃した選手も…。

「オリンピックは参加することに意義がある」
とい聞き心地のよい言葉を、八田氏は完全否定しておられる。
スポーツは勝たなきゃダメなんだと。
そこまではっきり言ってもらうと、かえって気持ちが良い。

八田氏の気合いを分けていただきたく、今日も本をひもとく。

(以下、引用です)

いまの世の中には、一方においては、楽をしようという考えがある。無理をしないようにという考えがある。がむしゃらにやるよりも、気楽にやろうという風潮がある。
だが、人間の生活は、そんななまやさしいものではない。そんな考えではやっていけない。そんななまっちょろいことでは、経済界の不況を抜けられない。そこには、真剣の努力というか、日常の努力が最後にものをいうのであると思う。
わたしの考え方、やり方は、スポーツ界でも、一般社会でも、あるいは敬遠されるかもしれない。しかし、勝つ工夫(原文ママ)しないで、勝負に勝つ道はない。努力せずに人生を勝ち抜く方法はない。

わたしにとって、レスリングは、宗教のようなものだ。

宗教戦争は百年かかっている。

狩の犬 獲物を追って 何処までも


それから、エレベーターに乗せない。
わたし自身、新しい体協の四階にある、レスリング協会の事務所への、登り降りに絶対エレベーターを使わない。階段を一気に馳け上り、馳け下りることにしている。外国などに遠征に行くと、宿舎の部屋が十何階も上にあるということがある。それでも絶対にエレベーターは使わせない。一気に階段をあがらせる。
飯を食べずに体重をつめている者は、かわいそうだから、エレベーターに乗せるが、それ以外のものは、
「歩け」
といって、歩かせている。
そうすると、中には、わたしやコーチの目を盗んでこっそりとエレベーターに乗るやつもいる。そういうのが見つかると、直ちに
「剃れ」
ということになる。

わたしは、このようなことで、鬼のようにいわれているが、上、下を剃りさえすれば許すので、そういう点では、非常に温情的だと思っている。
アメリカという国は、非常に民主的だとされているが、先日も、カンカンに来なかった選手が一人いた。これは黒かった。
「白だったら、その翌日。すぐその場で本国に帰すのだが」
と監督がいっていた。
要するに、その選手は戦意がなかったのだ。前の日に、負けたといって、その晩に、うんと飯を食って、翌日の試合を放棄してしまったのである。だから、アメリカの役員はひどく怒った。ただ、黒人だから、いきなり追い帰すと面倒な問題になる。そこで、手続きをちゃんと踏んで、帰していた。そのとき、わたしが、
「あれが、もし、頭を剃り、下のほうも剃ってきたら、勘弁してやるか」
ときいたら、
「ノー」
といっていた。わたしのほうは、そういう点からいえば、非常に温情があると思っている。
ローマで全員上下を剃ったときも、ヘビー級の石黒(馨)選手が、
「帰ったら、すぐ結婚をしますから、勘弁してください」
というので、わたしは、剃らさなかった。

わたしが、1929年に、心配したことが、不幸にして事実となってしまった。
2年前、オランダのヘーシンクに、日本の偉い柔道の大家が、全部押え込まれてしまった。今度のオリンピック(1964東京五輪)でも、日本の柔道は、金メダルを3つとったのだが、ヘーシンク一人のためになんの意味もないものになってしまった。
わたしは、7年ほど前に、オランダでヘーシンクに会った。そのときかれは、
「柔道に強くなりたいが、柔道をやっているものに大きなのがいなくて、練習の相手になるものがいない。どうしたらよいか」
ときいた。
「レスリングをやりなさい。レスリングには大きなやつがいる。重いやつがいるから、これとやれば、たいへん柔道のためになる。そして、レスリングをやって寝わざを、うんとやっておけば、必ず世界一になれる」
と、わたしは教えてやった。そのとおりになった。
こんなことを書くと、柔道界の連中は怒ることだろう。
その後、ヘーシンクは、ブタペスト(原文ママ)で行なわれたレスリング世界選手権大会に出た。そしてヘビー級で6位になった。この点をよく考えてもらいたい。柔道の世界一といわれるヘーシンクは、レスリングでは、6番目なんだ。柔道界では、
「ヘーシンク、ヘーシンク」
といって騒いでいるが、レスリング界には、ヘーシンクより強いのがまだ5人いるということがいえる。この連中が柔道着を着て、出てきたら、どういうことになるだろう。
さしあたり、日本の柔道界は、シャープ兄弟が入門したいというと、
「あれはプロだから、だめだ」
という。
力道山が、
「柔道を教えてくれ」
といったら、それも、
「プロだから、勘弁してくれ」
という。もし、いま、大鵬でも、柏戸でもいいから、柔道着を着て、講道館へきたら、
「おれが、コロコロにしてやる」
と、いう人がおるだろうか。おそらく、いろいろなことをいうだろうが、だめだろう。
いま、わたしは、
「ヘーシンクに勝つ方法はあるか」
ときかれたら、たちどころに答える、
「勝つ方法はある。それも簡単だよ。レスリングを少し練習していけば、あいつの寝わざは、とくにうまいということはなにもないのだよ」

海外遠征の思い出のひとつとして、第一回新興国競技大会(GANEFO)のことにふれておこう。
1963年11月、ジャカルタで開かれた新興国競技大会が、その主催国インドネシアが、政治的、宗教的その他の理由から、といってはっきり理由を表明したわけではなかったが、とにもかくにも台湾とイスラエルの参加をボイコットしたため、IOCとの間に紛議がおこった。そして、国際陸連と国際水連は、同大会参加者の、東京オリンピック参加資格を停止したことから、東京大会へ大挙渡日した、北朝鮮選手団のひき揚げとなり、これに応じて、インドネシアも不参加を表明して大会開会を前にして帰国した。
レスリングにあっては、新興国競技会には、出場選手は協会を脱退して参加した。そして、帰国後ふたたび新規入会したのである。だから、東京オリンピックの予選にも無事出場、たいして問題をも起こさずに経過した。
これは、レスリングとしては、その創設以来、できるだけ海外の選手とわざを競わせるのが根本方針のひとつとなっている。あらゆる機会に、世界の荒波にもませることによって、選手を鍛えることを実施してきた。また、それによって、強くもなってきた。
だから、GANEFOの問題も、最初から仲間に入れないようにしようとの気持があってルールを持ち出す、国際陸連や国際水連とは考え方が違っていた。問題にするルールは同じであっても、こちらは、できるだけ、あらゆる試合に出場して、わざを磨き、また、できるだけ多くの人に世界中からきてもらって、いっしょに仲よくスポーツを楽しもうという考えで、対処した。
そのために、一応脱退、新規加入ということになった。脱退してGANEFOに参加した者の復帰をルールが認めないのなら、新規に入会すればよいではないか、ということになったのだ。き弁だという者もいたが、わたしは根本精神の問題だと思う。
わたしは、前に書いたように、中学を二度退学させられている。学校を退校させられれば、新しい学校に、新規に入学するよりほかなかった。それとあまり変ったこととは思わない。死刑囚にでも恩赦もあれば、特赦もある。
仲間に入れたくないという気持で、ルールをたてに、目くじらをたててものをいっておれば、解決するものも解決しない。
世界中の人びとと仲よくやるのが、スポーツの大精神であることを基礎にものごとを考えれば、事態を納める方法はいくらでもあると思う。GANEFOなど、その辺の運動会の大規模なものと思えば、肩のこる議論をしなくてすむというものである。
このような精神で、世界のスポーツ界の歩調が一つにまとまることを切望するしだいである。

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