幸田露伴の娘、文(あや)に次のようなエッセイがある。
幸田家の近所に、元落語家だという老人が移り住んできた。
では一席うかがわせていただきましょうということに相なったが、あいにく手頃な会場がない。

その時、露伴がうちの家を貸してあげようと言い出す。
いかに広いとはいえ、言うは易しで、掃除やら、準備やら、茶菓子の注文やら、宴席の用意やら、なにがしかの礼金やらで、貸すほうは出費はかさむし、メリットはない。

なぜ露伴はそんな面倒くさいことをしたのだろうと疑問だった。

それがこの「努力論」を読んでようやく腑に落ちた。
露伴は『分福』を実践したのだ。

福には限りがある、と露伴は言う。
だから、いちど訪れてくれた福は大切に守り育てていかねばならないと。(惜福)

また幸運を独り占めにするのではなく、周りと分かち合うことで更に福はふくらんでいくとも。(分福)

露伴はご近所や元落語家に分け与えた福が、いつか利子をつけて自分に戻ってくるということを、体験から知っていたのだろう。

ちなみに、その元落語家のウデはどうだったかというと、まあ廃業しただけあって、あまりかんばしくなかったそうだ。

とにかく幸田家はこのあと四代にわたって文筆家として名を成していくわけで、
これも露伴の『分福』のおかげと言えるかも知れない。

福を大切にする家庭は、
おあとがよろしいようで。

(以下、引用です)

英傑は別として、われわれ凡人は百を目指してようやく十を得、十を目指して半分も得ることができないのが現実である。だからこそ、志は正確に応じて可能なかぎり高くもつことが大事だ。いかに大志を抱いてスタートを切っても、30歳、40歳、50歳ともなれば意欲はおのずから衰え、ついには裏長屋で朽ち果てて終わるというのもよくあることであるから、とにもかくにも目標だけは高く掲げて飛び出したいものだ。

科学の信奉者は、宗教を信仰する人を見ると嘲笑するし、宗教の信心家は、科学の信奉者を軽蔑したりする。しかし人の性情は多種であり、人の境遇は多様である。自分だけを正しいものとすれば、世の中は正しくないものだらけで我慢できなくなるであろう。
だから不良でなく、凶悪でなく、凶妄でさえなければ、人の思想・言説・行為に対しては、それを容認して助長的に接し、絶対に剋殺的にならぬよう心に刻んでおきたい。

食事をしながら新聞を読んだりすることは、だれしもよくやることだが、これはやめてほしい。食事は心静かに、飯は硬いか軟らかいか、味は濃いか淡いか、あるいは煮魚は何の魚か、鮮度は新しいか古いか、食事に全精神を込めなければいけない。
明智光秀にこんなエピソードがある。
粽(ちまき)が出された時、彼は何に気を取られていたのか包んである茅(ちがや)もむかずに食べたという。たとえ三日にせよ、天下を取ったほどの人物が皮もむかずに粽を食べるという愚行を見せたのは、まさに気が散っていたからにほかならない。
また光秀は連歌の席で、隣の人に本能寺の溝の深さを質問したという。これまた連歌の席で連歌に集中できず、心が千々に乱れていたのである。光秀は信長から忍びがたい辱めを受けていて、健全な心理状態でなかったことは理解できる。この深い心の傷のために食事の席でも歌の席でも集中することができなかったのだろう。彼には気が散らなければならない深刻な理由があったのである。

澄む気を養い続ければ、≪冴ゆる気≫まで到達できる。そして冴ゆる気まで達すれば、神妙の世界まで垣間見ることさえできよう。張る気をもって芸術に打ち込む人は、時として澄む気の閃光を見せて作品の進境を示すが、凝る気で芸術に取り組む人はけっして澄む気の姿形を見せることはない。
(中略)
七年碁をもてあそび九年俳句をたしなみ、千局も打ち万句もひねったとしても小器用にこなせるようにはなるが、進歩はまったく見られない。
凝る気の持続は張る気のように見えることがある。そして熱心に芸術に取り組む姿からは想像もできないが、そこから生み出されるものは価値の低い、悪達者で進歩の望みのない作品ばかりである。

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