コミックスを買った時は、とにかく早く読みたくて、表紙をろくに見ないでページを開いてしまう。
もったいないことをしていたものだ。

今回、画集が出たのをよい機会と、あらためて山岸凉子先生の絵をじっくりと見てみる。
美しい、の一言に尽きる。
才能のある人はいいなあ、なんて思っていたら、巻末のインタビューを読んで驚いた。
なんと原稿料のほとんどを画集などの資料に費やされていたというのだ。

絵に対する凄まじいまでの情熱!
また、ネームは喫茶店で考えるそうで、集中力がありすぎて、火事になっても気づかないだろうということである。

ほかにも、

・五目並べは、先の手が見えてしまい、お兄さんに勝ちまくった

・矢追純一はUFOはいる、いない、で奥さんと揉めて離婚した

などなどビックリ情報が満載だ。(最後は関係ないか)

というわけで、とてもけっこうな画集でした。
この次は「全集」なんてどうでしょ、出版社さま。

やっぱりなんといってもマンガでしょう。
たとえばこの「ひっく ひっく」と泣いている少女。。。

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「かわいそうなミケティ」
というセリフとは裏腹な、ママンの冷笑がたまらんのですよ、山岸マンガは!

最後に、同志の皆さまへ朗報です。
ご存じとは思いますが、もうすぐ個展が開かれます。
見逃しなく!

山岸凉子展「光」2016年9月30日〜12月25日
弥生美術館・竹久夢二美術館
( ↓ 下の画像をクリックするとPDFファイルが開きます)

山岸凉子展 「光 -てらす-」 ―メタモルフォーゼの世界―


(以下、引用です)

私、小さいときから、たとえば兄と五目並べをしてますと、二、三個置いた時点で、パーっとすべての手が見えちゃうんですよ。自分でも驚きながら、あとはどこを封じればよいかが分かっちゃうので、何度やっても簡単に勝てちゃうんです。それと同じようなことが作品にもありまして、その「見えた」状態を、一度萩尾さん(マンガ家の萩尾望都さん)が図解してくれたんですが、ちょうど原子核の立体図のような感じで、人物や物語が組み立てられたものが見えるんですよ。

私はいまだに不思議なんですが、「アラベスク」も「日出処の天子」も「テレプシコーラ」も、最初頭に浮かんだときに、“これは絶対うける!”とわかる感覚があるのです。その感覚が見えたときは、誰の反対があっても強引に描かなきゃと思うんです。この感覚に名前がついていないのが残念です。

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「アラベスク」の扉絵は1週間かそれ以上かけて描いていました。カラー原稿は塗り直しがきかない一発勝負。色を間違えると全部ダメになるので、次に何色を入れるか毎回真剣に悩んでいました。
(中略)
私は当時“原稿料はすべて資料に注ぎ込む”と決めていたので、今はもうなくなってしまった銀座の洋書店・イエナ書店の常連でした。

ネームは喫茶店で組み立てるのですけれど、火事になっても気づかないだろうなと思うくらい没入します。
(中略)
幽体離脱ではないですけれど、そこにいながら私はいないという感じになっていますね。とくに「日出処の天子」のときはそれがすごかったです。

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