かなり分厚い本で、手に取るのに気後れしたが、読み始めてみるとあっという間だった。渡部昇一氏は80をとうに越えた今も“青春”のまっただ中におられるようだ。
あくなき向上心が若々しさの秘訣だろうか。

本書で紹介されている本の中には、入手不可能なものもあるようなので、この機会にどうか再発行していただきたい。

氏の推薦図書はとにかく外れが少ない。
また人生修養に関するものが多い。
そういうものを読み続けている限り、人生を大きく踏み外すということはないように思われる。

渡部昇一氏が関わる書物は、我々日本人にとって堅牢で高精度な羅針盤にほかならない。

(以下、引用です)

前に触れたように、大学一年生の夏休みで帰省したら、父はクビになっていた。授業料は一年分納めてあるが、来年の分の見通しは全く立たない。「目の前が真闇になる」という比喩は比喩ではなかった。佐藤順太先生のおかげで、私は知の世界の扉を開けていただいた感じであったが、上智大学はまさに圧倒的な知の世界がそこにあるという感じだった。そこから退去してしまうことは絶対に嫌だった。どう考えてみても、可能な道は一つだけしか見えなかった。
それは特待生になり、翌年の授業料を免除してもらうことである。その確実な道は、その学科(私の場合は英文科)で首席になることである。時には一学科から特待生が二人ぐらい出ることはあるが、それは当てにならない。一番であれば大丈夫である。それで私は「絶対に一番にならなければならない」という決死の覚悟で、郷里で過ごした夏休みから東京に戻った。
一番になるためには「点取り虫」にならなければならない。そんなことは小・中・高のどこでもやったことのない体験である。その時に「嫌だな」と思ったのは、必ず一番になるとすれば、同級生の成績が気になるだろうということだった。他人の成績が気になるということは、いかにも卑小で恥ずかしいことに思われたのである。そうしないで必ず一番になる道はないか、と考えた時、「すべての教科で百点を取ることだけを目的にすればよいのではないか」というアイデアが浮かんだ。そして、それを断乎実行しようと決心した。

日本ではいまもハイデガー研究が盛んなようであるが、彼が使った有名な述語に「世界内存在」(Das In der Welt Sein)があるが、あれは元来、岡倉天心が『茶の本』をニューヨークで出した時、荘子の「処世」を「Being In The World」と訳したのを、1908年にシュタインドルフが右のようなドイツ語に直訳したものである。
伊藤吉之助が留学から帰る時、自分の家庭教師をしてくれたハイデガーに、お礼のつもりで『茶の本』のドイツ語訳を手渡した。それが1919年のことで、1925年にハイデガーの名を高からしめた『存在と時間』が出版された。そしてそこにはあの述語が何のことわりもなしに使われていたので、伊藤吉之助は憤慨した。

その頃、貴重だったトランプを持っていたのは、アメリカ兵に貰ったからである。鶴岡に進駐軍の見廻り隊みたいな部隊が来た時、彼らの宿泊先の鶴岡ホテルに英会話クラブの名前で、榎本が「会話の機会を与えてください」と申し込むと断わられることはまずなかった。そして30分ぐらいすると、アメリカ兵は「楽しい場所」にお出かけになる。そんな時、トランプをみんなにくれたりしたのだった。
いまでも印象深いのは、アメリカ兵たちは自分たちの部屋にわれわれだけを残して遊びに行く時に、壁に掛けてあるピストルを指して「これだけには触るなよ」と言ったことである。
拳銃をわれわれがいるところに置きっ放しにして遊びに行くということは、当時のアメリカ兵がいかに日本人を、また日本の治安を信用していたかわかる。占領地がこんなに平和的で友好的で安全であるということが、アメリカ人にインプリントされたのではないか。日本だけが全く違う国であることを、彼らは朝鮮半島で、ベトナムで、イラクで、アフガニスタンで経験することになったのだ。

大学の英文学の教師をしていると案外、英文学は読まないものである。これは佐藤順太先生も「大先生といわれる人でもそんなに読んでいるものじゃないよ」と言われたが、私の体験からもそうだと言える。特に、いまの大学の先生は論文を書かなければならない。それには関連した論文を読まなければならない。それに事務的なことも多い。それで英文学自体は大して読んでいない、ということが起こる。
そのことを反省して、私は退職してから毎日のように、夕食後に出かける吉祥寺のボガという喫茶店(いまはフレンチ・レストランになっている)で、英詩集を片っ端から読むことにして何年か続けた。ライエル先生の授業の影響である。
座高くらいの量は読んだと思う。

今日に至るまで、学生や編集者に「すすめたい本をあげてくれ」と言われれば、その3,4点のなかに必ずヒルティの『幸福論』をあげることにしている。たとえば、84歳になった今日なお、机に向かって原稿用紙の升目を孜々(しし)として埋めるのも、ヒルティのおかげだと思わずにはいられない。「仕事をする技術」の二(一)に、ヒルティはこう言っている。
「……人は誰でも生来懶惰(らんだ)なものである。肉体的に受動的な普通の状態を脱却するためには、常に努力を必要とする」(岩波文庫版)
まさにそのとおりだ。だから私はニュースが終わったら、努力してテレビから離れるのだ。

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