先頃まで行なわれていたリオ五輪は、日本の大健闘でとても盛り上がった。
中でも女子レスリングの、いつもながらの頑張りには、非常に感動させられた。

今どきの観戦スタイルは、選手名を検索したり、YouTube動画に興奮したり、何かと忙しい。
そうしているうち、何度か「八田イズム」という文字を目にした。
ググってみたら八田一朗という「日本レスリング界の父」と崇められている人のことだと分かった。

この人に関する本が出ているかどうか、図書館で検索してみる。
すると「私の歩んできた道」(1979年刊)という本が引っかかってきた。

さっそく読んでみたら…この人、最高!
強くて、厳しくて、それでいて明るくて、大胆かと思えば、ときには細心で。
理詰めでモノを考えて、もちろん頭もすこぶる良い。

とにかくやることがユニーク。
たとえば、夜中に起きてトイレに行く途中、わざと選手たちの足を踏んづけていく。

なぜそんなことをするかというと、いつ、どんな場所、どんな環境でも眠れるように、ふだんから鍛えておくためなのだそうだ。
しかも選手たちにもそうするよう命令している。

恐るべし「八田イズム」。
寝る時くらいは、ゆっくりさせてあげたいと思う私は甘いのか。

しかし聞くところによると、プロボクシングの世界では、敵地へ乗り込んだチャンピオンは大変な目に遭うという。
泊まったホテルの両隣の部屋で一晩中どんちゃん騒ぎをされたり。
やれることは何でもやっちゃう。宮本武蔵もビックリだ。

そのような「想定外」まで想定し、ふだんから備えておくところが八田氏の凄いところ。
考え方の根本が、サムライというか、野生動物に近い。

そういえば、むかし「アニマル1」というアマレス漫画があった。
アニメ化もされたので、ご存じの方も多いかと思う。
原作の川崎のぼる氏は、日本のレスリング選手たちから発散される「野性」を嗅ぎとって「アニマル」なんてタイトルをつけたのかも、なんて思った次第。

本書には、驚くような人とのツーショットも収められている。
高松宮・妃両殿下、高浜虚子、そしてなんとドリス・デイ!
また八田氏本人が、「この人は戦前の日本の映画スターだよ」と言われても、誰も疑わないほどのイケメンである。

そのコーチングの厳しさは有名だったそうだが、なにしろ根がカラッと明るい。
読んでいてじつに痛快だった。

独創的で、前向きで、楽天的で、ぜったいにあきらめない。
よく似た人の伝記、むかし読んだなと思ったら、スティーブ・ジョブズだった。
まああの人はすぐ(?)泣くので、そこが全然違うが。

遠くでそっと見ていたい。だけどそばには寄りたくない。

…偉人さんには、こんなスタンスがちょうどよいのかも。
だって寝ているときに蹴られたくないもの。(笑)

(以下、引用です)

さて、アメリカ遠征(1929)から帰った日本(柔道)選手団は、決して自分たちの敗北を明らかにしようとしなかった。だから、世間一般は、選手たちが立派な成果をあげたものと信じていた。だが、わたしひとり、日本の柔道がアメリカのレスリングに苦戦したことを公表し、是非ともレスリングを専門に研究すべきであると力説した。
(中略)
わたしに、もし嘉納(治五郎)先生ほどの情熱と力量があったならば、このとき、柔道界に大革命を起したかもしれないのである。しかし、わたしには情熱はあったが、年若くして、力量が足りなかった。
ここでわたしは、柔道ときりはなして、別に自分ひとりでレスリングの道を進もうという決心をした。大学の柔道部の、わたしへの風あたりは、ますます強くなった。

当時、わたしは、体育協会から派遣されて、講道館の嘉納治五郎先生の秘書をしていた。わたしは、レスリングをはじめるにあたって、嘉納先生に相談にいった。先生は、
「レスリングをはじめるのもよいが、50年はかかるよ」
といわれた。
わたしが、その問題で嘉納先生のところに、相談にうかがったときは、先生は70歳ぐらいになっておられた。ということは、嘉納先生が講道館柔道をはじめられてから、50年経っていたことになる。
そうすると、日本のレスリングは1931年にわたしどもがはじめてから33年で世界的レベルに達したのである。
(1964東京五輪 日本は6階級でメダル獲得。金5、銅1)

選手の健康状態の管理について、「クソをしました」という朝の挨拶のほかに、「徳川さんがきました」というのがある。
これを<徳川報告>と称している。これは江戸の徳川将軍とはなんの関係もない。そうでなくて、徳川夢声さんのお名前を無断で拝借したものである。夢声さんのお名前がたまたま夢精と音を同じくしているために、ご迷惑を覚悟で、著作権乱用に及んだしだいである。<夢精>というと、あまりはっきりしているので、報告をする者も、される者も、ちょっと具合が悪いことと思っての親心で、「徳川さんがきました」といわせるのである。
(中略)
そこで、わたしは、<徳川報告>を受けると、「そうか、お前は元気があるからだ、よろこべ」
といった具合にいうのである。
(中略)
コーチはちゃんと表をつくっていて、<徳川>とか<手>と書き込んでいる。

しかし、指導者がこたつに入っていて、「おい、水泳をやれ」では絶対にだめである。率先垂範しなければならない。若い連中が、そんなことはとてもできない、と思っているときに、わたしが、裸になって海に飛び込めば、みんなびっくりしてついてくる。はじめは、不承不承ついてくるという有様だ。わたしは、毎朝水をかぶっているから、こんなことは平気だが、ふだんやっていない選手たちは、いきなり寒中水泳をさせられるのだから、度肝を抜かれる。
(中略)
このようなことをやるのも、一つは健康によいからだが、人のやらないこと、やれないことを思いきって、ずばりとやるといったことは、レスリングの試合にとって大切なことである。一生懸命にやるのと、ぼやっとしているのでは、大きな違いがある。結局は、心の持ち方ひとつであると思う。
最近では、寒中水泳だろうが、なんだろうが、みな平気でやるようになった。結局、コーチが先に立ってやれば、みんなついてくる。指導者が、選手をひっぱっていくのである。

最近アメリカでは、潜在意識の活用とか、自己催眠術といったものが流行しており、その関係の書物が多く刊行されて、わが国でもその翻訳書が出ているそうだが、わたしは、前からそれをやっていた。
「お前が強いのだ、勝てるのだ」と、いうのが大切だ。
わたしは、自分にも、いつも、危なくなってきたら、「できるんだ、できるんだ」といいきかせている。
わたしは子供にも、「お前はばかだ」とは、けっしていわないように心がけてきた。
「お前は利口なんだ、やれば、できるのだ」と教育をしてきた。

また、海外にあって、正しいマナーを学ぶこともプラスである。昔から日本の学生には、ことにスポーツをやっている者には、蛮カラをもって得意とする気風があった。だが社会の風習のきまりというものはキチンと守らなければならない。わたしは食事のマナーについては、やかましくいう。
(中略)
外国へ行って、外人とつきあうことによって、日本人にありがちな、外人に対する劣等感といったものがなくなる。それだけでも選手の精神的負担がなくなるというものである。また、そのために、英会話を奨励している。
勝つための、いっさいの障害をとり除くためには、細心に、大胆に、あらゆる手段をとらなければならない。

昔の柔道家はすすんで他流試合をやった。嘉納先生も、当時の諸流派のよいところをとって、講道館柔道をはじめられたのだった。ところが、その後、あまりにも温室に長くあぐらをかいていすぎた。
そういう意味では、レスリングは、冷飯を食い、野ざらしになって強くなってきた。文句をいわれようが、なにしようが、少しも気にとめず、勝つために必要なトレーニングは、なんでもやってきた。
正力(松太郎)さんの力で九段にりっぱな武道館ができた。屋上の尖塔は金色に輝いている。こちらの青山レスリング会館は、古ぼけた建物で、からっ風が吹きとおす。そして選手たちは、あのカイコ畑のような二階に寝るのである。
このレスリング会館を造るために、土地を大蔵省(現・財務省)から買おうとしたとき、文部省(現・文部科学省)に妨害されたものである。
文部省の妨害といえば、文部省の北沢体育課長が、
「レスリングは夷狄(いてき)の遊びだ」
といって、禁止にかかってきたことも、忘れることができない。
こと、レスリングに関しては、いろいろの妨害やじゃまをされると、一生たたってやろうと、しゃくにさわって、忘れることができない。

わたしは青年時代、末弘厳太郎先生に勉強法というものを教わった。わたしには役に立たなかったが、わたしの子供にはさかんに話して、利用させたのであるが、先生のいう教授法は、何でもいいからまず筆記しろ、ということだ。

末弘厳太郎 - Wikipedia

たまたま、わたしがフィリピンへ選手をつれていったときに、藤沼庄平という警視総監が、近衛(文麿)さんから政治的な使命を受けてマニラへ来ていた。わたしと藤沼さんは、毎朝、同じテーブルで飯を食って、いろいろ話しあった。
あるとき、「わたしは、度胸というものがどうしてもわからない」というと、彼は、「悪いことをしたら、度胸がでない」というのだ。たとえば、わたしが柔道五段の腕前でも、物をかっぱらったときは、柔道一級、二級のおまわりさんにあっても、逃げなければならない。だから、悪いことをしていたら、どんなに強くてもダメだ。悪いことをすると、度胸がでないというわけだ。
(中略)
「人間、悪いことをすると、度胸がでない」といった話は、まさに一理ある名言だ。
もう一つ、総監はいいことを教えてくれた。彼は大学時代、すでに資格をとり、大学を出ると、いきなり部長になったという。その村には、有名な禅坊主がおった。部長になったあいさつがてら、教えをこいにいくと、名僧は一言、「土地で遊ばず」といわれたそうだ。

人に仕えるときには、「上役がやかましいほど、むしろそばにおって接触しろ、なんといわれようと、接触すればわかるんだ」ということが大切だ。
(中略)
わたしは柔道では、とくに苦手な相手とは一生懸命やった。柔道じゃ、自分の腕が相当になってきて、相手に投げられると、かっこうが悪いから、なかなか苦手な相手とやらなくなる。そういうのを「貫禄つけてやらぬ」というのだが、真に強くなろうと思えば、貫禄など問題でない。たとえ投げられても、すすんで苦手とやるべきなのだ。これは、人生すべてについていえる勉強態度といえよう。


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伝統の八田イズム


by カエレバ