「アイドルとは『終わりを愛でる芸能』である」という着眼点はすごいと思った。
たしかに「大晦日で解散!」とか言われたら、もうあれもこれも買っとかなきゃ!って気持になるもの。

それから、ジャニーズとディズニーランドの共通性という視点にもうならされた。
AKB48もそうだと思うが、あの結界の中ではなぜか神通力が1ランクも2ランクもアップしているように見える。

日本の音楽界の重鎮、大滝詠一(故人)がマキタ氏を要チェック人物リストに加えていた(もちろん良い意味で)とのエピソードもすなおに納得できるほど、J-POPについての論考は鋭い。

「日本のポップスはすべてノベルティーソングだ」との主張もじつに的を射ている。
ファンは、今さら目新しさなど求めていない。ほしいのは安心感と郷愁ではないだろうか。

巻末の、きゃりーぱみゅぱみゅしている(んだよね?)、マキタスポーツ氏の写真もキモ愛らしくて良い。
ぜひ、第2弾、第3弾を期待する。

(以下、引用です)

現代は感動が飽和してしまっている世の中だ、ともいえます。
「感動の価格破壊」であり、「涙の圧縮陳列=感動のドン・キホーテ化」と言ってもいいでしょう。やれ、泣ける映画、小説、音楽などがテレビや雑誌でも取り上げられ、そこらじゅうに「泣けるもの」が溢れかえっている状況です。つまり、現代は「感動大量消費社会」なわけです。

私は「カノン進行がヒットを狙って意図的に使われているのではないか」と薄々感じていたのですが、そのことが確信に変わったのは、1993年に発表された藤井フミヤさんの『TRUE LOVE』という曲を聴いたときでした。チェッカーズ解散後に出したソロとしては初めてのシングルでしたが、この曲でもカノン進行が使われていたのです。
人気のあったグループからソロになったことで、出鼻をくじかれてはいけない、という戦略でもあったのでしょうか。当時、私は「フミヤ、ヒットを狙ってきたな!?」と思ったものでした。

アメリカ出身のギタリストで、J-POP評論家でもあるマーティ・フリードマンさんは「ももクロの曲はビートルズの『レット・イット・ビー』の100曲分くらい情報量がある」と言っていました。目に見える歌や踊り、楽曲やアレンジだけではなく、その周辺の情報や活動史を読み込むことによって、文脈の共有が生まれ、見る人それぞれがアイドルの「成長物語」を紡ぐことができてしまうのです。

AKB48はCDも「多くあるグッズのうちの一つ」という考え方を発明したわけです。歌手だったらCDを売ってなんぼという考え方よりも、もっと世の中の関心を引く楽しいことはイベントである、という方針を打ち出していきました。極端に言えば、仮にいい曲だったとしても曲の良さが優先ではない、ということをいち早くやっていたのがAKB48だったのです。
この割り切りは秋元(康)さんが作詞のみで作曲まではしない人である、ということが影響しているのではないかと私は考えています。

ところがジャニーズに関してはほとんどの人が、SMAPも嵐もTOKIOもKinki Kidsもジャニーズ事務所所属ということを知っています。このすごさとは、いったい何なのでしょうか?

そのことを考えるにあたって、「ジャニーズ事務所はディズニーランドである」という仮説を立ててみました。両者ともにさまざまなキャラクターを内包しつつも、世界観は一つのブランドに統一されています。

つまりビジュアル系バンドは、お客さんを非日常の世界に連れて行かなければいけないし、そのためにボーカルは常にお客さんのほうに顔を見せて疑似恋愛を楽しませているのです。もしボーカルがギターを持っていたとして、一瞬でも演奏を気にして目線を観客からギターの指のポジションへと外したら、それだけでお客さんは醒めてしまうのです。

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<本書の内容> (Amazonより転載)

第1章 ヒット曲の法則
・ヒット曲を生み出す時代背景
・カノン進行は一発屋を生む?
……など

第2章 なぜCDが売れなくなったのか?
・ファッション化する音楽
・AKB48の曲がヒットする2つの理由
・ももクロのジャンクさは確信犯
・ジャニーズという「ジャンルのすごさ」
・ビジュアル系をビジュアル系足らしめる3要素
……など

第3章 モノマネから発するオリジナリティー
・作詞作曲モノマネはオリジナルなものを生み出す
・オリジネイタータイプとフォロワータイプ
……など

第4章 日本のポップスはすべてノベルティー・ソングだ
・アーティストの非常に「柔らかい部分」
・「ノベルティー・ソング」とは何か
・「人格/規格」という見立てでアーティストの秘密がわかる
・パクリ論争などバカバカしい
……な