証人がウソをついても誰にも咎められない。
そんな信じがたい裁判が、近年の日本で公然と行なわれていた。
ロッキード裁判のことである。
この本を読むまで、そんなことがあったとは知らなかった。
これではまるで魔女裁判ではないか。日本は法治国家じゃなかったのか。

「南京大虐殺」については、もしかしたら本当? という気持ちも持っていたが、朝日新聞の捏造だったということが、この本のおかげではっきり分かったので良かった。

だが世界では「本当にあった」と信じている人たちが未だに沢山いる。
世界的に有名な、中国のとある映画監督は南京虐殺をテーマにした映画も作っている。
それらはもはや消すことができない。
これから誤解を解いていくのが実に大変だ。

それにしても渡部氏は凄い。
当時、大権力であった朝日新聞を相手に、正義感と知識を武器に、よくぞたった一人で戦い続けてこられたものだ。
心より尊敬申し上げる。
と同時に、もし氏がおられなかったら今の何十倍もひどいことになっていたと思うと、我々一人一人がもっとちゃんとせねばと自戒する次第。

「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」という言葉を聞くたびに、「それがね、奥さま、あれってじつは朝日新聞の捏造なんですって。ことの次第はかくかくしかじか…」と、いちいち説明しなければならないのは、正直わずらわしいけれども。
世界各国の人々の、日本に対する誤解が解けるまで、朝日新聞には謝罪と説明をし続けていただきたい。

それから渡部氏より立花隆、本多勝一両氏へのインフォメーションあり。
未だに決着のついていない論争があるそうで。
渡部氏からの果たし状に対してダンマリを決めこんでしまったら、世間は渡部氏の完全勝利と見なすだろう。

今年86歳になられる渡部昇一がリング上でファイティング・ポーズをとって待っている。
立花、本多両氏はどう出るか。

(以下、引用です)


90年代後半のことだったと思いますが、私は著名な憲法学者と対談しました。ある大学の法学部教授で、私よりずっと若い方です。その教授に、「私は渡部先生を尊敬しています」と言われたので、驚いて理由を聞くと、ロッキード裁判がジャーナリズムで話題になっていた頃、こんなことがあったというのです。

(※ ロッキード事件 - Wikipedia)

まだ大学の助手だった彼が京都で開かれた学会に出席したとき、学会の後のくだけた席で、名だたる憲法の専門家たちが(田中)角栄裁判についていろいろ論じ合っていたのだそうです。そして結論として「渡部という素人が言っていることが正しい。だけど、相手が角栄だから黙っていることにしよう」ということになったというのです。
「それを聞いて、私は憤懣やる方なかった。だから、あの時代に堂々と持論を発表されていた渡部先生を尊敬しています」と言われました。
たしかに当時は、よほどの覚悟がなければ、田中角栄を擁護することなどできない空気でした。私は田中裁判を批判したのであって、田中氏を擁護したわけではありませんが、そうは理解されず、田中擁護派として批判されました。
ロッキード事件が発覚して以降、田中氏を巨悪と断じ、彼を政界から葬り去ることが正義であるという雰囲気が日本中を覆っていました。それを主導したのがジャーナリズムでは立花隆氏や『朝日新聞』『毎日新聞』であり、政界では三木武夫首相(田中氏逮捕当時)です。
そして、そのような雰囲気は70年代後半から80年代を通じて変わることがありませんでした。
そのようななかで私が田中裁判批判を始めたものですから、大学の同僚の中にも「渡部が変なことを言い出した」と思われた人がずいぶんいたようです。とくに親しかったイギリス人神父のミルワード先生が、「あなたはタナカを弁護し始めたそうですね」と心配そうに言ってくれたこともありました。しかし、相手が外国人の場合は説明も簡単でした。
「タナカは最重要証人に対して、一度も cross-examination (反対尋問)の機会を与えられなかったのですよ」と言うと、即座に「そうだったのですか」と納得して、それ以上の説明は必要ありませんでした。

「南京大虐殺」問題では曽根一夫なる人物が『私記南京虐殺───戦史にのらない戦争の話』(彩流社、1984年)を出版し、ベストセラーとなりました。いかにも生き生きとした描写で描かれているため、奏郁彦氏のような南京問題の専門家でもこれに乗せられて、「いちばん実感がこもっている資料だ」などと持て囃しました。
しかし、板倉由明氏(戦史研究家、故人)の研究によって、曽根一夫は兵隊として南京に行っていないことが明らかになった。私自身も曽根一夫の親類と仙台で会って、「あいつは嘘ばかり言って」と親類が困っていたことを知っています。
かなり名のある人でも日本軍の悪口を言うと、ジャーナリズムに持て囃されるという現象がその頃の日本にはありました。日本軍の悪口を言って日本を貶めたい人たちが、朝日新聞やNHKをはじめ、報道機関の中にもとぐろを巻いていたのです。
そのような状況の中で「従軍慰安婦」問題も捏造されて出てきました。吉田清治なる人物が1980年代の初め頃から「強制連行」について証言を始めると、『朝日新聞』(1982年9月2日付)は「済州島で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』」と報じ、以後、頻繁に吉田証言を取り上げて記事にしています。また、吉田が『私の戦争犯罪───朝鮮人強制連行』(三一書房、1983年)という本を出版すると、『朝日新聞』はこれも大々的に取り上げました。
しかし、吉田清治の嘘八百は、地元『済州新聞』や秦郁彦氏の調査、研究によって1990年代には完膚無きまでに論破されています。それでも『朝日新聞』が吉田証言に基づく記事を訂正することは長らくありませんでした。

もっと悪質なのは、吉見義明・中央大学教授です。防衛研究所で発掘した「日本軍が強制連行に関与した」という資料を朝日の記者に渡し、『朝日新聞』(1992年1月11日付朝刊)は一面トップで、「慰安所 軍関与示す資料」と大見出しで大々的に報じました。
吉見教授も記事に登場してコメントしており、それには「軍関与は明白 謝罪と補償を」という小見出しがつけられています。
ところが吉見教授が防衛研究所で発掘したという資料は、実際は「慰安婦募集に関して悪徳業者が跋扈しているので、警察と協力して取り締まれ」というものでした。つまり、関与は関与でも「善意の関与」を示す資料だったのです。
『朝日新聞』の記事は、慰安所の運営に軍が直接関与したかのように世論を誘導する歪曲記事・捏造記事だったのです。

『朝日新聞』が当初「従軍慰安婦」問題で騒いでいたときは、「日本軍が支配下の朝鮮で20万人もの若い女性を強制的に集めて連行し、慰安婦にした」と、その強制性を問題にしていました。
ところが、ここが『朝日新聞』のずるいところですが、朝日はいつの間にか「従軍」という言葉を省いて、さらに「連行」という言葉も使わなくなりました。代わって「慰安婦」という存在の非人道性を問題にし始めます。「河野談話」の威を借りて、「広義の強制性」があった、慰安婦たちは性行為を強制されたというのです。

(※ 河野談話とは - はてなキーワード)

たしかに強制性はありました。朝鮮の若い女性は親に売られ、女性を買った女衒は売春宿に女性を売り、売春宿は買った女性に強制的に売春させたわけですから、そこに強制性はあります。しかし、その強制性の出どころは日本軍ではなく、「親」です。
それを日本軍による強制性があったと、『朝日新聞』はすり替えているわけです。じつに悪質な悪魔のごとき智恵です。
売春宿を経営しているのは、もちろん民間人です。経営者には日本人もいれば、朝鮮人もシナ人もいました。当時の日本は公娼制で、管理売春の制度がありましたから、その制度に基づいて戦地においても売春宿の営業を認めました。それが慰安所です。

戦後は東京裁判史観にとらわれて、「シナ事変は日本が悪かった」と思っている人が大半ですが、私の世代はそう思いません。そう思わなかった最後の首相が大平正芳氏で、そう思った最初の首相は細川護煕氏です。
マッカーサーですら「日本の戦争は自衛戦争だった」と証言したというのに、細川首相は「侵略戦争だった」と言ったのです。彼は朝日新聞出身です。
私は『裸の総理たち32人の正体───渡部昇一の人物戦後史』(李白社、2010年)という本で、鈴木貫太郎から鳩山由紀夫まで、戦後の総理たちを「素人の目」から見て評価しました。すると見えてくるのは、やはり国家観があったのは岸信介首相だということです。
岸首相は「米軍の駐留は条約なしで占領されているのと同じだ。日本は独立国ではない」と気づき、少なくとも名目上は平等の形になるよう、政治生命をかけて、安保を改定しました。
そしてその後を見ても、細川氏以前には東京裁判を認めるような愚かな宰相はいませんでしたが、岸首相以来、強烈な国家観を持つ宰相もまた、安倍(晋三)首相が出てくるまではいませんでした。それほど安倍首相は確固たる国家観を持っています。
当然、朝日新聞は安倍首相を叩くでしょう。
私の朝日新聞との40年戦争は、まだまだ続きそうです。

※ 最後に。。。

引用文中の「シナ」という、今や目にすることのほとんど無い表記に戸惑われた方もおられると思う。
なぜ渡部氏が「中国」と表記されないのか、その答えともいうべき記述を見つけたので、老婆心ながら以下に引用させていただいた。
渡部昇一・著「青春の読書」356pより引用

また、『日本書紀』において「中国」とあったら「日本」の意味であることも知った。こんなことは高校までの歴史や国語で教えられたことはなかった。そのもとの漢文に触れたことは、新鮮な感動を与えてくれた。
この漢文の授業にはあとの話がある。いまから30年ぐらい前になるだろうか───その時の資料はすべて保存してあるが、いまは記憶によって書く───シナを中国と書くことは不適切だと私は思って、そのことを『サンケイ新聞』に書いた。中華民国とか中華人民共和国の略称として中国というのはよいが、清(しん)も元(げん)も漢(かん)も含めた歴史の場合、「中国文学史」とか「中国詩選」というのはおかしいという趣旨であった。
特に、シナにおいて中国と言えば、その対になる表現は北狄(ほくてき)・南蛮(なんばん)・東夷(とうい)・西戎(せいじゅう)となる。つまり、日本は東夷という見下げられた意味になってしまう。知らない人が中国文学史とか中国文化史と言うのは仕方がないとして、漢学をやった人たちがそれを言うのはけしからん、と私は思ったのである。

br_banner_kokuban




目次 (Amazonより転載)

第1章 「林彪副主席は健在である」!?―朝日新聞と私の戦いの始まり(日本文化会議、そして名編集長との出会い
「書評」のはずが、思いがけなく「論壇デビュー」 ほか)

第2章 「ヒトラー礼賛者」と呼ばれて―わが体験的“朝日新聞人観"(これまで会った中で最も傲慢な男
カトリックの立場から書いた「神聖な義務」 ほか)

第3章 東京裁判以上の暗黒裁判!―「角栄裁判」における朝日との戦い(信頼していた日本の司法に対する疑念
素人目にも見えてきた重大な戒律違反 ほか)

第4章 「侵略」を「進出」に書き換えた?―萬犬虚に吠えた教科書誤報問題(日本のマスコミ報道が国際問題に発展
「侵略」を「進出」に換えた教科書はなかった ほか)

第5章 日本人の名誉にかけて捏造報道と戦う―「慰安婦」の次は「南京」だ!(最初の怒り―「従軍看護婦」の尊さを汚すな!
「女子挺身隊」=「慰安婦」という明らかな嘘 ほか)


※ こちらで本書の内容をプレビューできます!
↓ ↓ ↓
プレビュー | 朝日新聞と私の40年戦争 | 書籍 | PHP研究所