タイトルに「才能なんていらない!」とある。
300万部近くを売り上げた「国家の品格」の編集者が言い放っているのだから、心強い。

では小説家になるために必要なものは何なのか?
お定まりの答えになってしまうが、継続する力だろう。
ヘタな鉄砲も撃ちつづけりゃ上手くなっていく。

それと、あとは完成力か。
「完」と書くまで投げ出さない意志。

そこに辿り着くまでに、多くの人が脱落していくのだと思う。
1万人のうち9999人が志半ばであきらめてしまう。

しかし「継続も才能のうちさ」などとうそぶくのも、自分で自分を見限るようで悔しい。
まだまだ人生は長い。
工夫次第でどうにかなると信じてがんばろう。
この本には、そんな人を勇気づけてくれる言葉がちりばめられている。

以下に挙げた3冊からの引用も多い。
「ミステリーの書き方」アメリカ探偵作家クラブ

「書くことについて」スティーヴン・キング
(「小説作法」改題)

「キャラクター小説の作り方」大塚英志

先達からありがたいお言葉をいただき、モチベーションを上げたところで、さあ机に向かってがんばろう。明日から……。

とかいうヤツはきっと明日も同じことを言う。
もうイヤでイヤでしょうがないけれど、なんか書かなきゃ。
「やる気というものはやり始めたら出てくるのだ」
…禅問答みたいだが、池谷裕司先生がそのように仰っていた。

まあ、だから、そんなわけで、気が重たいけれど…ポチポチ、カチャカチャ、キーを打ってりゃそのうち調子が出てくるだろう。
パコパコ、カタカタ……お? だんだん乗ってきたかも。
スタタン、スタタタン! ほら、良い調子。
やっぱり池谷先生は正しかった。1分経過。
よし、今日はこのへんにしとくか。

最後にエンターキーを「ッターン!」
高く上がった右手でガッツポーズ!
さあ、うまい酒のむか。

(以下、引用です)
「鬼平犯科帳」(池波正太郎・作)と並ぶ人気シリーズ「剣客商売」のキャラクターは誰をイメージしていたのか、ノートには、画家と俳優の切り抜き写真が貼ってあることで分かるのです。画家・前田青邨(せいそん)の全身写真の横には秋山小兵衛と記されてあり、ゲーリー・クーパーとジェームズ・スチュワートのポートレイトの横には秋山大二郎と記されています。前田青邨は同じ日本人ですから納得ですが、大二郎はクーパーやスチュワートといったハリウッドスターの風貌、スタイルを出発点に作りあげられたタイプであるわけです。
時代小説の登場人物の原型を日本のスターではなく、外国のスターに求めることに意外の感に打たれる方も多いでしょうが、このあたりに池波小説の魅力の秘密が隠れているような気もします。

『ミステリーの書き方』でドロシー・ソールズベリー・デービスは言っています───「わたしは仕事を始めるとき、いつも自分にこう言いきかせる───見せよ。語るな。見せるとはアクションのことであり、ものごとのかかわり合いのことである。語るとはアクションの準備または説明であり、本来、不必要なものなのである。」(講談社、178ページ)

ミステリーの書き方 (講談社文庫)

ここでいう「アクション」は、単に、行動・行為の意味です。同じ本でジョン・D・マクドナルドは、三人称を選ぶと「語るより見せろ」のルールが百パーセント実行できると断言しています。確かに、三人称ですと、内心の語りに傾くよりも、主人公の行動を追うように目が動きます。マクドナルドはさらに言います「昔からよく言うではないか。『ジャニスはからだを起こして枕カバーをひっかぶった』と『ジャニスはとても内気な娘だった』とではどう違うかと。」(146ページ)

宮部みゆきが修業時代、ある小説教室に在籍していたころ、講師・多岐川恭が有難い助言をしてくれたことを書いています。多岐川氏は生徒たちに「時代小説を書きたいと思っている人は手をあげて」とまず質問したのだそうです。

「今手をあげた人たちは、とにかく書いてごらんなさい。時代考証や歴史の勉強は、書きながらでもできる。怖がらないで、まず面白い話をつくることを考えて、書いてごらんなさい」(多岐川恭『色仕掛 深川あぶな絵地獄』新潮文庫・解説、341ページ)

新人賞に応募する目的は、一次選考を乗り越えて二次に残ることでも、最終の候補に残ることでもなく、受賞してデビューすることです。高額賞金の大きな賞を狙っても、結局受賞できなかった、来年また頑張りましょうでは、あなたのステータスは以前と同じタダの人です。
結論を最初に明かしましょう。取りやすいと思われる賞を狙うのがベストです。とにかく文壇という世の中に出てしまいましょう。


br_banner_kokuban