タイトルから首をかしげてしまう。
「たまたまサイコパスが運悪く私たちの子供として生まれてしまったのです。どう育てようと結果は変わらなかったでしょう」
とでも言いたいのかと勘ぐってしまう。

一説には、サイコパスは3,4歳の時点ですでに萌芽が見られるという。
だとしたら、両親ばかりを責めるのも酷かも知れないが。

少年Aは凶行の前に、万引き、ストーカー行為、暴力事件、飲酒、喫煙、動物虐待などを引き起こした、と本書にある。
両親は何かしら手を打てたのではないかと思えてならない。

凶行の前も後も少年Aは普段と全く変わらず、まさかこの子が犯人だとはつゆほども思わなかった、とある。

これは案外、本心かも知れないと思った
いくつかの兆候や物的証拠が目に入ってきても、無意識のうちに事件と結びつけることを拒否し、情報を排除して、見せかけの平穏を保とうとしていたのではないか。
…などと素人が知ったふうなことを言っては大けがのもとだが。

全体として、責任逃れに終始する内容だった。
「印税はすべて被害者家族への償いに充てる」とあったが、ネット記事には、自分たちで遣っている、というものもあり。
本当のところはどうなのだろう。

少年Aは出所後、HPを開設したり、本を出版したりと、被害者家族の気持ちをおもんぱかることがまったくできていないようだ。

少年法の意義が、更正のチャンスを与えるためにあるのだとしたら、ほとんど機能していないと言わざるをえない。

後味の悪い読書だった。
関連書籍をもう何冊か読んで、更に考えていきたい。

こんなことを書くと大甘だと叱られるかも知れないが…。
少年Aの弟2人(だったと思う)は、事件当時小学生だったはずだ。
彼等には罪がない。どちらかといえば彼等も被害者だ。
どうか立派に人生を全うしてほしいと、陰ながら願う。


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