手塚治虫がマンガ界の「神様」、萩尾望都がマンガ界の「母」ならば、山岸凉子はマンガ界の「巫女」だろうか。

伝説の人物・聖徳太子という、あえて難儀なテーマに取り組んだのは、現代にいっそう知らしめることで、太子の積年の恨みを解き放ち、鎮めるためではなかったかとさえ思える。

本邦初公開となる、炎上する五重塔の図。
右下でこちらを見ている童子が怖いよ〜(涙)。

綿矢りさ、おかざき真里、桜木紫乃のお三方が愛読者代表としてエッセイを寄稿している。
「一番好きな山岸マンガは?」の問いに「舞姫テレプシコーラ」2票、「汐の声」1票。




山岸凉子の絵は、国宝をふくむ絵図や建築、仏像と同じフレームに収まっても、全く見劣りしない。
それどころか単体では枯れて見える飛鳥美術に瑞々しい息吹を吹き込んでいるようだ。
おそらく山岸凉子の眼には、仏像や絵の中の人物が生命をもって映るのだろう。

本書で一番驚かされたのは、夢殿だった。
ユメドノとは、厩戸王子(=聖徳太子)が引きこもってイケナイことやイジワルなことを念じた例の建物である。

夢殿という概念や建物は、聖徳太子の前にも後にも存在しないという。
ということは、あのような呪術を使えたのは、人類の長い歴史の中で彼だけだった…ということになりはしないか。

山岸凉子の描く夢殿はかなり小さく、粗末だ。
(シーンにより多少のバラツキはある)

ところが近年になって再現されたいくつかの夢殿は、写真で見るかぎりどれも豪奢で大きいのである。
おそらく設計図など残っていないだろうから、どちらが正しいのかは分からない。
驚くべきなのは、山岸凉子は夢殿のレプリカを見たに違いないのに、そのイメージに流されなかったこと。

「聖徳太子さまがお籠もりになられたのだから、そりゃ立派だったに違いねえべ」
「んだんだ」
…という会話が大工さんとお坊さんの間であったかどうか知らないが、そういったノイズに惑わされず、己の直感を貫き通すところが凄い。

これからもいろんなマンガ家さんが、歴史物を描いていくだろう。
その方たちは資料をパソコンで取り込み、それをトレースするのだろう。
その一連の作業に何の疑問も持たないのだろう。

山岸凉子や萩尾望都のような、想像力と感性が爆発しまくったようなマンガにはもうお目にかかれないかも知れないと憂慮するゆえんである。

本書はほかに荒俣宏との対談もあり。
仕事場の風景。本棚の写真も。タイトルは30冊くらい識別できるか。
先生ご自身のポートレートも何枚か。
グレタ・ガルボか、マルレーネ・ディートリヒかというくらいにお美しい。

厩戸王子のカラー絵もふんだんに載っている。
イラストの横にこんな走り書きが見られる。

「予告カット これ絶対に返却希望なのだわ!」

当時の編集がいかに杜撰だったかがうかがわれる。

「日出処の天子」の連載を始めるにあたり、参考にした資料は3冊だけというから驚く。
熱いエネルギーで突っ走る「日出処の天子」は、山岸凉子が魂を一気に飛鳥時代に飛ばし、本人たちとコミットしてきたようなリアリティがある。

山岸凉子が初めてマンガを描いたのは中学の時で、「顔のない眼」(Les yeux sans visage)という1960年のフランス映画に触発されてだという。

ググったら、字幕無し版がYouTubeにあったのでざっと見てみた。

フランス語は分からないけれど…怖い。死ぬほど怖い。(涙)
これは大傑作の予感。買わずばなるまい。

結論。とてもていねいに編まれた、感じの良い本だった。
ゆかりの地は住所付きで紹介されていたりして、この本を片手に旅してみるかなと、ついつい誘われそうになる。


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