シナリオライターとマンガ原作者。
近いようで、とても遠い仕事だということが分かりました。
一番の大きな違いは、
「1」から始めるか、
「0」から始めるか。

何もないところから世界そのものを産み出す原作という作業と、マンガや小説をドラマに作り直すシナリオライティング。

もちろんシナリオライターも「0」から始める場合はあります。
この場合は「ドラマ原作者」としての役割も兼ねたわけです。
「0」から何かを産み出した場合は、著作権も与えられます。

目からウロコだったのは、
「マンガのキャラクターのセリフは現実社会で喋ると恥ずかしい」

その気になって喋っている人もたまに見かけますが…。
これは裏を返すと、
「常識でモノを考えているうちは突出したマンガキャラは産み出せない」
ということになるかも知れません。

本書の姉妹本でも「幼児性が大切」と大石賢一氏は力説されていました。

マンガ原作の書き方 入門からプロまで77の法則」大石賢一・著

それから、
「現実社会の成功者は、マンガでは悪役キャラになる」

これも面白いです。
そんな悪役キャラが妖しげな魅力を放ったりするのも、またマンガの奥深いところ。
論理よりも感情が優先するのがマンガの特徴である、とも言えそうです。

スポーツ界でもたまに論争が起こりますね。
「勝てばいいんだ」
「勝ちゃいいってもんじゃないだろ」

…勝利に美学を求めるかどうか。
これはもしかしたらマンガの影響かも。

今やマンガはヒットすればほぼ例外なく、アニメかドラマ、映画になります。
しかし原作を越えるのはなかなか難しいみたいですね。

それだけマンガが特殊なコンテンツだということでしょう。
逆にいえば、アニメ化やドラマ化を初めから目論んだマンガは魅力が乏しいということになります。
簡単に他のジャンルに移植できるようなマンガは、そもそもマンガである必要がないですし。

マンガはとても奥深いものであるということを、本書で教えていただきました。
これから大石賢一氏のマンガを買って勉強したいと思います。

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(以下、引用)
他人を感動させるためのシナリオを書いているのですから、アマチュアであっても感動を与える努力をしなければなりません。
エッセイ作家のように「何気なく」を装って、斜に構えたスタンスで書く人も多くいます。これも何の感動も与えません。よくありません。斜に構えて書いたものでは読み手に何も伝えません。作り手が「本気じゃないよ」、「本当はこんなもの書きたいと思ってないのにさァ」と言っているようで深みがありません。作り手の逃げ道が用意されているようで気持ちよくありません。
エネルギーがパンパンに満ちていて、感動を与えようとして書くものは、感じ方が違うのです。パワーの存在が違うのです。

言いたいことは、「不利な条件設定をキャラクターにつけ加えよ」ということです。「そのためには作者が身をケズれ」です。
とかくアマチュア・ストーリーライターは、楽して成果を挙げたいと考えます。「身をケズっていない」のです。ついストーリーの流れのほうに気を取られ、主人公設定について考えていないのです。
まして、作者自身が身をケズってキャラクターを創造するなんてことは余計なことに見えるのでしょう。これがアマチュアがアマチュアである理由です。

アマチュア作品は主人公を大事に扱っています。
物語をつくるとは主人公を大事にすることだと思い込んでいます。ピンチに遭わないよう、いつも平然としていられるよう、傷つけないように安全圏に置いています。これが「作者が身をケズっていない」という証しなのです。
主人公は酷使してよいのです。主人公を一歩も退けられない場所へ追い込み、そこから脱出する姿を面白いと思っていいのです。それがライター的視点なのです。それができなければストーリーライターではないのです。
また主人公は酷使を望む宿命にあります。読者もそれを期待しています。どうしてそうならないのでしょう。作者が「身をケズっていない」からです。投影した自分を大事にしすぎているからです。

アマチュア作家の発想は手に取るようにわかります。「ヒットしてるアレ大好き」から始まって、「試しに似てるこんなもので勝負してみようかな」の発想に行きます。「まぁ、面白いかどうか、読み手の皆さんに判断してもらいましょうか」。ちょっと否定されると、「本心から思ってる訳じゃないからいいけどね」「ダメなら取り下げます。どうせ本気じゃなかったから傷つきませんけどね」
こんなレベルじゃなく、ドカンと本物発想をしてください。

死ぬまでに書いておきたい一本から始めましょう。若くても、年取ってても同じです。この迫力がないとダメなんです。たとえあなたがアマチュア第一作目を書く場合でも同様です。
才能と呼ばれるものはここからしか生まれてきません。若くして一発で世に出る人がいるのなら、この発想に立っている人なのです。
それ以外のほとんどの人はモラトリアムです。「執行猶予」「保留」という意味です。いつか将来、自分自身に出会うだろうと思っている人達です。本物の自分と向き合わず、業界周囲のことにしか目が行かない人たちです。
こんな人に才能の神様は降りてきません。
重要なのは「明日死ぬかもしれないから、今日書き残しておこう」という発想。