ご自身の半生記がそのまま日本のアニメ界の歴史絵巻になるという重鎮・雪室俊一氏。
齢七十を超えた現在も『サザエさん』の脚本などで健筆をふるっておられる。

本書は、2001〜2003年にWEB上で発表したコラム、
WEBアニメスタイル COLUMNを加筆・改稿、さらに新しい書き下ろしと3本のシナリオなどを加えて構成されたもの。

収録されているシナリオは以下の3本、
・ ゆりかごのメロディ 「たんぼの中の一軒家」(未発表)

・ あかねちゃん第2話 「あかれとひでばろ」 (1968年)

・ ムーミン第13話 「パパは売れっ子作家」 (1969年)

1969年版のムーミンは本書によると、
“原作にない脚色が大幅に施されたことで原作者ヤンソンの不興を買い、現在ではDVD化等もほぼ不可能だ。"
とのことである。
「ムーミン」が観られないのは残念だが、貴重なシナリオが本書に収録されたのは喜ばしい。

良い機会なので近いうち雪室作品を観てみようと思っている。
「キテレツ大百科」あたりがとっつきやすいかな。

これからも氏にはトップランナーとして、そしてご意見番として、アニメ界をリードし続けていただきたい、そう切に願う。

(以下、引用)
小津安二郎や黒澤明を見ていると、この人たちは、映画監督以外はつとまりそうもないように思える。セールスマンやテレビのワイドショーのコメンテーターになって、怒鳴りまくる姿は想像もできない。
その点、ヌーベルバーグの監督たちは、一流大学の出身で世渡りもうまく、どこの世界でも通用する人たちだ。たまたま映画会社に合格したから監督になったわけで、もっと早く映画が斜陽化していたら、受験すらしなかったろう。
映画しか撮れない人と、映画も撮れる人の作品は根本的に肌合いがちがう。
自分が落ちこぼれだから、いうわけではないが、映画やテレビをつまらなくするのは、エリートコースを歩んできた秀才たちではないだろうか。

だが、同じ経が読めるにしても、きびしい修業を経て僧侶になった者と、その経を耳で聞いて覚えただけの者が同じレベルであるわけがない。
(中略)
他人のシナリオをいくら読んでも自分でオリジナルを書かなければ力はつかない。読むことと、書くことはまるで次元がちがうのだから。

ぼくの場合『サザエさん』のような短い作品でも、きちんと構成をつくってから書きはじめる。といっても、構成どおりに書きすすめられるわけではない。書いているうちに人物が動きだし、思いもよらない方向へ脱線してしまうことも珍しくない。しかも、その脱線した部分がおもしろいのだ。だったら、わざわざ構成をつくる必要がないのではと思われるかもしれないが、構成というレールがあるからこそ脱線できるので、道なき道をヤミクモに走り出すのとは意味がちがう。

『ハリスの旋風』『あしたのジョー』のちばてつやさん。『ひみつのアッコちゃん』『もーれつア太郎』の赤塚不二夫さん。『ゲゲゲの鬼太郎』の水木しげるさん。『Dr.スランプ』の鳥山明さん。『キテレツ大百科』の藤子・F・不二雄さん。『あずきちゃん』の秋元康さんと木村千歌さん。
それぞれにライターを信用してくれて、シナリオに口出しをしない原作者たちである。
数年前、あまりにうるさい原作者にキレたぼくは、それらのマンガ家たちの話をした。いっしょにいた編集者が涼しい顔で決めつけた。「それは原作に愛情を持ってないからですよ」ぼくはあきれて二の句が継げなかった。だいたい自ら描いた原作に愛情を持ってない原作者がいるだろうか。

池波正太郎さんが、原作のセリフを丸写しにしたシナリオライターを痛烈に批判したというエピソードがある。文字で読まれることを想定して書いたセリフと、耳で聞くことを想定して書いたセリフが、なぜ同じなのかと怒ったのだ。原作に忠実ということは、丸写しをすることではない。

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