かつて『スター誕生!』というオーディション番組があったのをご存じだろうか。
次々に生まれ出る新星たち。その華やかな舞台の裏には、日本テレビと渡辺プロダクションの熾烈な闘いがあった。

事の起こりは1970年代、“我が世の春"を謳歌していたナベプロの渡辺晋社長(当時)が、日本テレビのプロデューサー井原高忠に発した一言が発端で、“渡辺プロ事件"が勃発する。

NTV紅白歌のベストテン - Wikipedia

その経緯は以下の著書にも詳しい。

元祖テレビ屋大奮戦!
井原 高忠

面目をつぶされた井原は芸能プロダクションの代表を一堂に集め、悲壮な決意をもって宣言する。
「これは戦争なんだ」
この言葉に男たちは燃える。
屈辱を味わわされてきたのは、井原だけではなかったのだ。

井原が取った「打倒ナベプロ」の戦略は以下のようなものだった。

まず『スター誕生!』で新人を発掘する。
次に合格者をナベプロ「以外」のプロダクションに振り分ける。
新人に入念なレッスンを課す一方で、ブレーン達はヒットさせるための戦略を練り上げる。
デビュー後は他の日テレ系番組と連携して売り込みを展開。
このシステムでスターを輩出しつづけ、ナベプロの牙城を崩していく、
というものだった。

そのためには新しい才能がいくらあっても足りない。
そういえば放送作家で阿久悠という面白い男がいるらしい。
…という経緯で阿久悠は『スター誕生』の中核にかかわり、時代の寵児へと躍り出ることになる。

本を読み終わっての感想は、ただただ、“羨ましい"の一言。
こんな熱風が吹き荒れる時代を体験してみたかった!

(以下、引用)

何しろ放送期間中、延べ200万人強の少年少女が応募し、91人(89組)が合格して、レコード・デビューした。20%近い視聴率を10年つづけ、200万人以上にスターになる幻想を抱かせ、人によっては決意させ、森昌子、桜田淳子、山口百恵、片平なぎさ、岩崎宏美、伊藤咲子、ピンク・レディー、柏原芳恵、石野真子、小泉今日子、中森明菜ら同世代の少女をスターにしてしまった現象を見ると、ある世代をどれくらい揺り動かしたかがわかるのである。

桜田淳子は笑顔を1秒で作れる。山口百恵は笑顔とわかる表情に変化するまで10秒かかる。この1秒と10秒の差は、全く別個性であることの証明で、大仰に言えば、14歳の少女が踏み歩いている人生の差、背負っている運命というものの重さの差、考えている幸福感への信頼の差、思い描くサクセスの差なのであるが、それらに気がつくのはもっと後である。後楽園ホールでの、2分少々の応募者と審査員の接触では、とてもわからなかった。

しかし、いくら何でも、「ペッパー警部」をB面にしてしまおうという話が出て来るなどとは、思ってもいなかった。
ディレクターの飯田久彦から、今のままの成行きで進むと、ビクター・レコードの内部の評判は「乾杯! お嬢さん」に分があって、ピンク・レディーのデビュー曲はこれになりそうだと聞かされ、ぼくは仰天し、そして、激怒した。

「悪魔のようなあいつ」というタイトルは久世光彦が決めた。ぼくは、上村一夫と組んで、まず劇画にし、女性週刊誌の「ヤングレディ」に連載した。
(中略)
多少は話題づくりの目的もあったのだろうが、久世光彦はこの(『時の過ぎゆくままに』沢田研二・歌 の)詞を、井上忠夫、井上堯之、加瀬邦彦、荒木一郎、都倉俊一、大野克夫、という6人の作曲家に発注した。それぞれが特色のある曲であったが、大野克夫の曲が選ばれた。



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