正岡子規が文語体を駆逐した、と山本夏彦は断じている。
おそらく正しいのだろう。
だが子規がやらなかったとしても、口語体の席巻は時間の問題だったと思う。
そして今やそれどころじゃない事態に……

歴史的仮名遣い

現代仮名遣い

縦書きから横書きへ

手書きからタイプ入力へ

タイプ入力から画面スリスリ

……これを進歩と呼んでいいものかどうか。

小学校の授業にタブレット導入とか、悪い夢を見ているようだ。
水が低きに流れているだけではないのか。

流れる、で思い出した。
「春の小川」という文部省唱歌。

「春の小川はさらさら行くよ〜♪」というやつ。
あれ、本当は
「春の小川はさらさら流る〜♪」
なのだそうだ。

オリジナルのほうがめちゃめちゃイイじゃん。

考えてみりゃ、小川は「行かない」よねえ。
我々は“バッタもん"を教えられていたのね、ショック…。

(以下、引用)


その巧拙は問わない。明治時代の男女はみな歌を詠んだ。百人一首のせいだろう。百人一首をそらんじていれば、それを手がかりに「古今」と「新古今」の世界にさかのぼることができる。当時の歌はたしなみであり心得だった。
それをこわしたのは正岡子規だとはすでに書いた。子規は新聞「日本」紙上に「歌よみに与ふる書」を書いた。貫之は下手な歌よみにて古今集はくだらぬ集に有之(これあり)候ということを、手をかえ品をかえ立て続けに十回も書いた。子規は東京大学に学んだ当代切っての歌人であり俳人であり論客である。旧派の和歌、俳諧の宗匠で子規に立向う者は一人もなかった。以来歌壇は子規とその一党の天下になった。
子規は歌を芸術に高めたかったのである。歌をよむ老若は芸術なんか志してない。あれは風流韻事である。教養であり文化だった。子規以来この教養はすたった。

いま芥川賞のたぐいを受賞すると、匿名の人物から呪いの電話がかかってくるという。貴様のような素人が受賞するのはがまんできない、おれは苦節十年だぞ。
そういえば中島敦も文章を書いて十余年になる。東大で一年下の中村光夫はすでに名をなしている。李徴(※『山月記』の主人公)は轗軻不遇の中島自身だと言って言えないことはない。
弱年のとき、筆者にも天才だといわれた年上の友があった。まず学は古今東西に及んでいた。物語りをすればそれはそのまま活字になる。有力な友を多く持っている。それなのにいつまでたってもその名を聞かない。いつか二十余年を経た。ついに友の推薦で一巻が出た。日を経て読んでくれ、その上で忌憚なく評してくれと言われたが言うべき言葉がない。
博覧強記が邪魔しているのである。トリビアルなところへ力をいれすぎて、本筋が全く見えなくなっている。些細な欠点なら言えもしようが、根本的な欠陥は言えといわれても言えない。だから交りを絶って久しい私に問うたのだろう。齢はすでに五十を越えている。
詩人ばかりではない。三十年歌っている、または演じている芸人がいる。ついに檜舞台に立てない。やはり何かが欠けているのに当人は気がつかない、気がつきたくない。

何年か前「笠智衆だいっきらい」というコラムを書いたら、日本中から袋だたきになった。

ただ人の口には戸は立てられない。半井桃水と一葉の仲を桃水の玄関番をしていた弟子の一人は、「妾だ」と言い放ったとのちに荷風は書いている。一葉は桃水から再三再四金を借りている。女が男から借りてろくに返さなければ(返せなければ)妾だろうと当時は言った。本当に妾なら一葉はあんなに貧しくはなかったろう。またあんなに恋こがれなかったろう。

(※ 徳岡孝夫の解説より)
私は日本のどこかに誰も知らない地下基地があって、そこから最高司令官が次々に指令を出している図を想像する。彼は文部科学省、日教組、有名大学、自治体、NHK等々あらゆる目標に工作員を送り、文語文の痕跡を最後の一点まで消そうと奸智をこらしている。すでに、ほぼ成功している。彼が狙うもの、それは「国語テロ」による日本の破壊である。これより恐ろしいテロはない。

br_banner_kokuban



"バッタもん" [DVD]
by カエレバ