「小説の書き方」ではなく、「エンタテインメントの作り方」とするところが、貴志祐介氏のただ者では無さっぷりを感じさせる。

文筆業のみならず、クリエイターを目指す人ならば、なにかしら得るものはあると思う。

(以下、引用)

新しい作品に取りかかる際、私はまずこのアイデアノートにざっと目を通すことから始める。なにか使えそうなネタはないかと探しながら、これから書き始める物語についてイメージを膨らませていくのだ。
面倒くさがらずにこまめにメモを取り、適宜それをアイデアノートに昇格させていく習慣をつけたことで、私はアイデアの枯渇に悩まなくなった。それを見たら、面白い物語づくりのためのヒントが、必ずあるからだ。
繰り返すが、アイデアとは、天啓のように書き手のもとに都合よく舞い降りてくるものではない。日々の気づきの蓄積が、アイデアの源となるのだ。

私の場合、プロットの初期段階で重視しているのは、結末だ。最終的に物語をどう着地させるのか、明確なゴールを初めに設定しておく。
結末が決まっていれば、あとは物語の冒頭の部分と、見せ場であるクライマックスさえ固めてしまえば、物語の骨格がほぼ決定する。この三点は建築における基礎工事のようなものだ。ここさえしっかりさせておけば、途中でストーリー展開にブレが生じても、ゴールを見失わずに済む。軸はブレないのである。

我が身をふり返って考えてみると、文章力向上に最も効果があったと思えるのは、自分が書いた文章を何度も推敲することだ。文章を書いたあと、一定の時間をおいてから読み返すと、執筆中には気がつかなかったさまざまな“粗"が見つかるものである。

はっきりとした問題がないのに筆が進まない場合、心理的な障害があると考えるべきだ。水泳の飛び込みにたとえると、飛び込み台に立った瞬間こそ、最も心理的な障害が大きく作用するもの。飛びこんでしまいさえすれば、あとはすんなり泳ぎ始められることもあるのだ。
また、誰しも新しい作品に着手する際には、「さあ、これからどれほど面白い小説が仕上がるだろうか」と、期待に胸を膨らませるものだ。しかし、得てして書き進めるうちにその期待感は矮小化されてしまうものである。そこで直面する失望感が、心理的な障害になることも珍しくない。その意味では、執筆前にあまり過剰な期待を抱かないこと、というのも筆を止めさせないコツである。

せっかく書き上げた原稿を削ることは、ときに自分の身を切られるような痛みをともなう。しかし体験から断言できるが、編集者の指示に従って不要な描写を削り落としていくと、もとの原稿よりも格段に良いものに生まれ変わることは間違いない。

自作でいうと、『悪の教典』も、道徳観に欠けるキャラクターを主人公に据えている。蓮実聖司が稀代の悪人でありながら多くの読者の支持を得ることができたのはなぜか。これは、悪人ぶりも描き方次第で読み手を惹きつけることができるという、ひとつの実証になるのではないかと思っている。
不思議なもので、女性というのは無能な善人よりも、有能な悪人に惹かれる傾向があるようだ。中学生のころ、どちらかというと少し不良っぽい少年に女子の人気が集まっていたことを思い返せば、納得していただけるのではないだろうか。

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