現在発売されているのは1995年版で、いま私の手元にあるのは1980年版と1951年版である。

本書を読んだ当時は1951年版(タイトルは『沖縄の悲劇』)の存在しか知らず、旧漢字に四苦八苦しながら読んだものだ。
ところが、読みやすくなった1980年版のほうをめくってみると、何となく生々しさが薄れており、物足りない感さえするのが不思議だ。
日本が敗戦してからわずか6年後に出版された本であり、内容は同じはずなのだが、本自体が60年以上を生き抜いてきた重みをたたえているからだろうか。

とはいえ1980年版には関係者の顔写真が載っているので、こちらはこちらで貴重だ。
1951年版にも写真は無いことはないがきわめて少ない。

1980年版のほうの表紙には、映画『ひめゆりの塔』のワン・シーンが使われている。
古手川祐子、田中好子、大場久美子、栗原小巻が談笑しながら踊っているところを見ると、1982年に公開されたバージョンのようだ。
映画は1953年版と1982年版の二つがあり、どちらも監督は今井正である。
(あと、1995年版というのもあるようだ。監督は神山征二郎。出演は沢口靖子、後藤久美子、中江有里)
…って、あれ? 映画のほうが2年ほど後にできたはずだが、何度か表紙カバーが差し替えられたのか、それとも1980年には撮り上がっていてスチール・ショットが出版社のほうにいち早く回されたのか、いきさつはちょっと分からない。

肝腎の内容は、仲宗根政善の手記と、戦火をくぐり抜けたひめゆり学徒隊の方々の手記よりなっている。
当時の日本人にとっては敗戦=自決で、白旗を揚げて降参、などということはあり得なかった。
捕虜になることは恥ずかしいことという教育を徹底的にされていた。
戦争に負けたらもう殺されるか、奴隷にされるかしかないと思い込んでいたのだ。

本の中で少女たちは、自決のための手榴弾や青酸カリを渇望する。
もしも米兵に手をかけられるようなことがあったら、そのときは兵隊さん、私をぜひ日本刀で斬り殺してくださいと嘆願したりもする。

それを異常とか、洗脳とか、時代とかの一言で片付けてしまいたくはない。
できるだけ彼女たちの心情に寄り添っていたいと思う。

そう思わせてくれるのはなんといっても著者である仲宗根政善氏のお人柄による。
大声で泣く赤ん坊を、米兵に見つかってしまうからと絞め殺させる日本兵や、米軍に投降しようとする日本兵を後ろから斬り殺す日本兵など、異常の極みとも言える状況の中で、最後まで人間性を失わずに生徒たちを守ろうとしたその姿勢には頭を下げるしかない。

戦火をくぐり抜けた氏や、ひめゆりの方々の戦後は、生き残ってしまった申し訳なさ、というものに苦しまれたようだ。
そして現在もその苦しみを背負い続けている方々が大勢いらっしゃる。
我々がその方々に寄り添うことで、その荷が軽くなるわけでもないのだけれど、それでも生きているかぎり、これからも理解を深めていきたい。

br_banner_kokuban