あらためて筒井康隆の「知の巨人」ぶりを見せつけられた。
その膨大な知識量もさることながら、つねに時代のトップを走り続けられる感性の柔らかさと、ジャンルを問わず最新情報を捕食しまくる雑食力に舌を巻く。
この人の頭の中はどうなっているのだろう。

タイトルは「創作の極意」となっているが、どちらかというと「創作意欲を刺激するコンテンツの紹介」といった内容となっている。

まずはそのコンテンツを知っていなければ御大の話について行けない。
ということで、誠に勝手ながら、
個人的に興味を惹かれた作品についての記事を、備忘録的に引用させていただいた。

凄味

ところでこの「凄味」の項を書いた後で、山川方夫に「軍国歌謡集」という短篇があることを人から教えられた。山川方夫と言えば交通事故で夭折した作家であり、彼が連載中だった「科学朝日」からショート・ショートの引継ぎを頼まれて二年ほど書いた因縁がある。「軍国歌謡集」を読むのは初めてだったが、これは毎夜のように軍歌を歌いながら窓の下を通って行く女の話である。先の夜まわりの話と似ているのはそこまでであり、この話の場合、主人公は窓を開けてその女性の顔を見てしまうのであるが、太宰的な自虐的自省も含めてそのあとの展開に凄味があり、三十四歳の若さで亡くなったことが惜しまれる山川の、最良の短篇である。



実は彼(宮沢賢治)の作品にはたいへんな色気が存在する。「風の又三郎」や「注文の多い料理店」など多くの作品に筆者は色気の横溢を感じたものだ。

>会話

会話が凄いのは夏目漱石「明暗」であろうか。一見それは日常用語の会話であるようだが、裏に壮絶な対立を秘めている。
(中略)
会話というものはすべからくこうあらねばならぬと思わせると同時に、会話を引き立たせる地の文がいかに大切かを教えてもくれるのだ。「明暗」は未完の作品だが、それでも通常の長篇の長さはあり、とにかく未完でありながら名作と呼ばれているほどの卓越した作品だからどこでも手に入る。未読の人は是非読んでほしい。

遅延

川端康成「片腕」では、「片腕を一晩お貸ししてもいいわ」と美しい娘に言われ、右腕を借りた男がそれを雨外套の中に隠して家に戻る途中、近くの店から聞えてくる天気予報に耳をすます遅延部分がある。これがなぜ遅延かというと、読者は男が家に帰ってからその借りた片腕にどんな振舞いを見せるのかと興味津津だからである。ところがこのラジオの天気予報というのがえんえんと続き、男はずっと店の前に立ち止まっているのだ。

遅延

シリーズの一巻、本一冊まるごと、ほとんど遅延という珍しい例がある。谷川流「涼宮ハルヒの消失」である。
(中略)
蛇足だが、「ハルキとハルヒ─村上春樹と涼宮ハルヒを解読する─」という著書の中で土居豊は「筒井康隆の作品が、谷川流の作品にどのように影響を与えているかは、今後の研究課題」と書いているが、申しあげた通り、影響を受けたのはこっちなのである。

電話

1948年に作られた「私は殺される」という映画がある。これはもともとルシル・フレッチャーが書いたラジオドラマであったことからもわかるように、ひたすら電話による会話だけで話が進行する。
(中略)
あちこちへ電話をかけるうち、どうやら自分には高額の生命保険がかけられていて、夫と自分の間に介在するのがギャングであり、実は今夜殺されようとしているのが自分らしいとわかってくるのだが、このあたりのサスペンス効果は素晴らしいものだ。

視点

デイビッド・ロッジはヘンリー・ジェイムズが視点の操作に関して名人級だと言っているのだが、彼が推賞する「メイジーの知ったこと」という作品の初めの部分は、不倫をしている大人たちの行動を理解できない子供の視点で書かれていて、しかもその純粋無垢なメイジーの視点からずれることなく、大人たちの言う言葉を利用して、現に何が起っているのかを正確に表現しているのである。しかもそれを、とても子供が書いたとは思えない成熟した大人の文体で書いていて違和感がないのだ。

妄想

あきらかに妄想の産物と思える小説もあって、それは例えば江戸川亂步「蟲」である。美しい人気女優を殺してその屍体を持ち帰るなどは男なら誰しもがある程度は想像するものだが、主人公にここまで細密に計画を練りあげさせ実行させるまでの妄想力と文章力は常人にはないわけで、だからこそ文学的猟奇小説として発表可能だったのだが、戦前のことでもあり、当然のことながら発禁になってしまった。

妄想

この人(川上弘美)の作品は小生が新人賞を与えた処女作の「神様」以来、最新作品集の「なめらかで熱くて甘苦しくて」までそのほとんどを愛読しているのだが、作家本人ともおつきあいがあるせいなのか、作品を読むとある種の情熱に基づく妄想から文学の方へ送り込まれてきた小説であることが明らかなのだ。その理由は詳細も含めて書くことが難しいが、もしかすると彼女は囚われている情熱による妄想から抜け出せず、文学的にもがき続けているという幸福な作家なのかもしれない。

反復

東浩紀「ゲーム的リアリズムの誕生」はまことに刺激的な本で、この本に触発されて筆者は「ビアンカ・オーバースタディ」なるライトノベルを書いた。この本は「ダンシング・バニティ」にも一部に影響を与えている。

反復

実在する有名なゲームをそのまま劇化したものも多いが、中にはより高度な芸術性・文学性を持つ映画も作られている。ジャック・リベット監督の「セリーヌとジュリーは舟でゆく」という三時間に及ぶ大作では、ヒロイン二人が何度も繰り返しある一軒の館を訪れる。
(中略)
二人の存在に住人たちは気がついていないのか、あるいは気がついていないふりをしているのか。この館にはひとりの少女が軟禁されていて、二人の目的は彼女を救い出すことだ。

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