明日、6月9日は川口松太郎の命日となる。

芸談ものの傑作映画、
『鶴八鶴次郎』(監督=成瀬巳喜男、出演=山田五十鈴、長谷川一夫)
の原作者としても有名な方だ。

偉大なる作家を偲んで、高峰秀子との対談本「人情話松太郎」を読んでみた。

川口松太郎の肉声は、3年前にラジオで聴くことができた。
じつにハキハキした人だなあという印象がある。

カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス|NHKラジオ第2 文化番組

そのハキハキした人が、輪をかけてハキハキした人と対談するのだから、歯切れの良いことこの上ない。

小さい頃からとても苦労されたことや、
"わかる"大人たちからは大変に可愛がられ、目をかけられたことなど、共通点も多いお二人である。

嵐のような半生をくぐり抜けてきたお二人の、“人を見る目"は研ぎ澄まされていて怖いくらいだ。
その眼力に射抜かれ、ズタズタに切り刻まれるのが、これまた快感だったりするのだから、ファンというのは実にしょうもないものである。

(以下、引用)

(川口)「俺はまあ、グレようと思えばグレるチャンスはたくさんあったな……。
例えばね、古本屋をしていたときさ、店先でスリの現行犯をみたんだよ。それを知りあいの老刑事に密告したのが縁になってさ、その刑事が、いつまでも古本屋なんかしてたってしょうがない。警察で給仕に使ってやるから、露店商人なんかやめろ、って言ってくれてね、俺、警察の給仕になったんだ」

(高峰)忙しいのね。でもその刑事さんいい人だったのね。

「ああ、何の縁もない子供の将来を心配してくれてさ。あんな好意と親切心を、いまの警察官も持っているかねえ。
……ところがさ、警察の給仕になって三カ月くらいたったころ、道で一人の男に呼びとめられたんだ。そいつが例のスリ」

うわ。それで?

「俺、てっきり仕返しされるのかと思ったら、そいつニコニコ笑ってね。ちょっと一緒に来いって言いやがんの。俺はおっかねぇから、いま用事で行くところがあるから、用事があるならここで言ってくれ、ってさ。もう、ビクビクだよ。そうしたらね、お前は俺を密告したから小憎らしいが、みどころがある奴だ。だから警察なんかやめて家へ来いって。うまいもの食わして、月に十円ずつやるって」

今度はスリにみこまれたわけですね。

「そうだ。うまい話ではあるけれど、うますぎておっかねぇや。スリは、また来るからな、って帰っていったけど、俺はこわくてこわくて。スリがもう二度と来ませんようにって、真剣に観音様に頼みに行ったよ。さいわいにしてスリはもう来なかったけど……。だから、ああいうテに見込まれてもそこへゆかないだけの判断はあったんだね。しかし、あのとき十円の小遣いに眩惑されてあの道に入ってたらと思うとゾッとするよ」

私のランドセルには、教科書と安物のノート。あとは消しゴムのすりきれたチビた鉛筆の他は何も入っていなかった。大森の駅前に、いま思えばチャチな店だったけれど小さな文房具店があった。学校へ行きたくても映画の仕事に追われて一ヵ月に二、三回くらいしか通学のできなかった私にとって、その文房具店は正に夢の殿堂だった。文房具店には、私の欲しい物のすべてが揃っている。美しいノート類、三角定規、セルロイドの鉛筆箱、そして真っ白い消しゴム……。
「母さんに、消しゴム買って、なんて言ったら、母さんは困るだろうな」
と思うと同時に、私の指先は消しゴムにのびていた。文房具店のおじさんの姿はなかった。消しゴム一個を掌に握りしめて店を飛び出した私は、息を切らせてアパートまでの道を走り続けた……。さて、その消しゴムを使ったのか、返しにいったのか、母に告白をしたのか、しなかったのか。私の記憶の糸はそこでプツンと切れていて、あとのことは何も覚えていない。ただ「私は物を盗んだ。泥棒をしたのだ」という、消しゴムでは消えない思い出だけが、いまだに私の脳裏に、たったひとつの汚点となってこびりついている。

私はね、成人式前の若い人たちにのべ一年間ボランティアをする義務を与えたらいいと思うの。三百六十五日の日付のある手帳を持って。時間のあるとき何時間でもいいの。養老院へいってお年寄りに本を読んであげたり、洗濯してあげてもいいし、車椅子を押してあげてもいい。保育園ならランチタイムに行って、汚れもの洗うのもいいし、子供と遊んであげてもいいし。そうして他人に接するとイヤでも自分と対照してものが見えるし、人の痛みも分かるようになる。そうして三百六十五日全部シルシがついて埋まれば、はじめて成人になれる、っての、駄目かなあ。

「それも方法だ。ボランティア制度はうまく出来れば非常に結構だね。やはりどこかに厳しさっていうのが必要だよ。兵隊検査に代わるべき何かがあったほうがいいなあ。二十歳になって兵隊にとられてビシビシやられただろう? たとえ、取られなかった奴でも、ああ、オラ助かった、とはいうものの、やっぱりあるひとつの厳しさってものを感じたものだよ。甘いだけではいけないよ」

「あのね、あるときさ、京都の大富豪の夫婦に会ったんだよ。オヤオヤこんなところで、どうしました? お茶づけが食べたいんだけど、どこかお茶づけ食べられるとこありませんか? てんだ。
まだ三益(愛子)が生きてるころだったから、うちへおいでよ、茶づけぐらい食わせる。あ、そりゃすみません。
で、家へ来て茶づけ食ってさ、ほうれん草のおひたしどう? って言ったら、大好きだ。って、そうやって毎日毎日、一週間来てたな。で、
どういうお礼をしたらよござんすか?
君んとこは酒屋だから、僕は酒の粕が大好きだから、酒の粕が出来たときに送っておくれ。
ああ、そんなことお安い御用。そんなことでよござんすか。
……それから十年経った、一回も送ってこない」

そういうもんだ。

「そういうもんだ」

ホノルルへ仕事で行ったとき、日本有数のお花の先生のお世話をしたことがあったの。モーニングコールの電話かけるのから食事の世話まで……。とても感謝されてね。東京へ帰ったら一席おもちしたい。どこがいいかしら? あそこか、ここか、とにかく帰ったら連絡させて頂きます。
……電話なんかいまだに来やしない。別に御馳走になりたくはないけど。どこかでパッタリ会ったら具合悪かないかしら、なんて、こっちがハラハラしちゃうよ。そうしなきゃ、お金は貯らないんだね。

「情けないね」

「……大衆小説ったってさぁ、僕らのような作家は、大衆から離れろったって、できない相談だよ。楽しませちゃいけないみたいな考えかたは、僕は間違ってると思ってるから。……だからまあ、理想的なのは、どんな人が読んでも、どんな高尚家ぶってる人が読んでも、一応は納得できるもの。ミーちゃん、ハーちゃんが読んでも楽しんでくれるもの。それが理想的だ。例えば、激石の『坊ちゃん』。誰が読んでも面白いじゃない。藤村の『破戒』にしたってそうだ」

人間の情愛のあるものだけが強く残っていますよね。外国のものだって、いま残って読まれているのは、みんな情があるものばかりだもの。
ビクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル』だって、牧師さんとジャンバルジャンの情だし、オー・ヘンリーだって、サマセット・モームの『雨』だって、みんな情じゃないの。ただ気取ってて、わけの分からないものは残らないよ。
谷崎先生の『春琴抄』、川端先生の『雪国』、織田作之助の『夫婦善哉』、林芙美子の『浮雲』……みんな情だらけじゃないの。

「人間の、つまり一番誰しも共通に持っている感情ってのは、愛情でしょう? そこから離れてしまうとどうもねえ。離れていいものもなきにしもあらずだけど、人間の情、情痴というものから離れると、やっぱり作品が冷たくなるわね。さりとてさ、うっかり情に溺れると、安っぽくなる。そこのところが難しい」


芸人はお客が一ばん大切な筈だ。
聴く者がなかったら名人も上手もあるものか、

「鶴八鶴次郎」より

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