総勢30人の芸人・俳優が取りあげられている。
中には緒形拳、勝新太郎などの名も。

230ページほどの本だが、中身は濃い。
著者がつちかってきた交友がものをいっている。

初めて知る話が沢山あった。

・ビートたけしの「〜だっての」という口癖は、前田隣という芸人のが移ったものだった。
・「笑点」の大喜利ネタは構成作家が書いている。
・玉置宏が席亭を務めていたNHK「ラジオ名人寄席」が突然放送終了した理由は、元TBSディレクターの糾弾によるものだった。
etc...
演芸通の方にとっては、「何を今さら」だろうけれど、私には驚きの話だった。

本書は三部に分けられている。

一部 = 落語家(故人)
二部 = 色物芸人・俳優(故人)
三部 = 落語家(現役)

そのために、人間国宝にまでなったお人から、借金と屈辱にまみれて亡くなった人まで、じつに振り幅の大きいラインナップとなっている。

「吉川氏は褒めているけれど、この人そんなに面白かったかなあ?」という人もチラホラ…。
もっとも、文楽→志ん生→志ん朝 のローテーションで満足してしまっている私などに、芸の何たるかが分かるはずもない。
食わず嫌いを治すためにも、吉川氏オススメの落語家を聞いてみよう。

それにしても、春風亭小朝と清水ミチコのダブルショーなんてものがあったのか!
行きたかったぞ!!

(以下、引用)

>古今亭志ん朝

平成十二年、家元(立川談志)と志ん朝が銀座のバー<美弥>で飲んだ。同席していた演芸関係者の話だとそこで交わされた会話はこんなものだったらしい。
談志「志ん生になれよ」
志ん朝「なったほうがいいかな」
談志「俺はなるべきだと思うな。志ん生継げ。そして、俺に口上を言わせてくれよ」
志ん朝「兄さん、口上に出てくれるかい」
談志「当たり前じゃないか。出るよ。その代わり、俺が震えるようないい落語家になれよな。もっとうまくなれよな」
こういう会話ができる間柄だったのだ。それを知らない志ん朝ファンはなぜか談志を毛嫌いする。ことさら談志をけなすことで志ん朝の素晴らしさを強調する狭量な人たちがいる。この人たちは談志・志ん朝がお互いを認め合い、お互いの健康を心配していたことを知らない。

柳家小さん

(春風亭)小朝が満を持して尋ねた。
「師匠にはたくさんお弟子さんがいらっしゃいますが、前座の頃のお弟子さんの高座を聞いて、『おっ、こいつはいいな』って一番強く感じたのはどの方ですか?」
小さんは間髪入れず、「談志だよ」と答えた。
小朝「小三治師匠はいかがです」
小さん「あいつもよかったけど、やっぱり談志だな」
小朝「はあー。最初のショックは談志師匠が一番強かったですか。師匠の自慢の弟子っていうことになりますよね、談志師匠は」
小さん「うん。だけど、あれはもう破門したんだからね。あれなりに一派をこしらえたんだから。やつの考え方もあれでいいんだよ」
小朝「一応破門ということですが、師匠の中では、やっぱり弟子は弟子ですよね」
小さん「ああ。どこまで行ったって、弟子・師匠だろ、これ」

春風亭昇太

平成元年、昇太はに出場した。(中略)
昇太は高座布団に座るやいなや、袖口からインスタントカメラを出し、「出演の記念に」と客席に向けてシャッターを切った。さらに、一番前列の客にカメラを渡し、「僕を撮って下さい」と頼むと、Vサインしてポーズを取った。会場は爆笑の渦である。最初に笑いを取ることを「つかみ」と言うが、こんなつかみの方法は初めて見た。ヘタすると客が引いて、審査員の不興を買いかねない。それなのに一発勝負の場でやってのけたクソ度胸に舌を巻いた。

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目次

第一部

古今亭志ん朝
柳家小さん(五代目)
桂三木助(四代目)
春風亭柳昇
春風亭柳朝(五代目)
立川文都
立川談志

〈エッセイ〉演芸評論家という職業

第二部

白山雅一
前田 隣
波多野栄一
早野凡平
マルセ太郎
ショパン猪狩
ポール牧
林家正楽(二代目)
玉置 宏
島田正吾・緒形拳
勝新太郎
小沢昭一

〈エッセイ〉芸人との付き合い方

第三部

川柳川柳
古今亭志ん駒
林家木久扇・木久蔵
月亭可朝
春風亭小朝
柳亭市馬
春風亭昇太
桂あやめ
立川談春