観ていて心が痛くなった。
戦後間もないイタリアで、二人の少年が大人たちに利用され、少年刑務所に入り、そこでさらにドツボにはまって…というお話。

この少年刑務所というのが、文字通り“少年"ばかりで、下の子は小学生くらいにしか見えない。
そんな男の子が、何か悲しいことがあると、「びえ〜〜ん」と、子ども泣き(?)をするのだから、観ているこっちはたまらなくなってくる。

戦争という圧倒的な暴力に、完膚なきまでに叩きのめされてしまった直後は、同じ敗戦国という境遇の下に生まれ育ったものとして、正義とか道徳とかいう言葉は虚しく響くなあとつくづく思った。

「靴みがき」というキーワードで思い出したのだが、我が国にも『名もなく貧しく美しく』(1961年公開。監督=松山善三)という映画がある。

主演の高峰秀子と小林桂樹は聾唖の夫婦で、様々な逆境にも負けることなく、幸せな家庭を築き上げた…と思ったら、ラストでいきなり悲劇に見舞われるという衝撃的な展開の作品だった。

それに誰が異を唱えたのかは知らないが、この映画にはもう一つ、アメリカ版というのがあり、そちらではハッピー・エンディングを迎えるのだそうな。

何かここに、日本とイタリアの敗戦国組と、負け知らずのアメリカさんとのメンタリティの決定的な違いを見てしまう。

だが『靴みがき』に出てくる、無責任、いい加減、事なかれ主義の大人たちが、そういう時代にのみ存在してて、今はいなくなったのかというと、全くそんなことはないだろう。
いや、誰の心にも多かれ少なかれそういう部分はあるのではないか。

「移民の少年が死刑になろうがなるまいがどうでも良い」
という倦んだ態度の裁判で幕を開ける映画『十二人の怒れる男』(1957・アメリカ 監督=シドニー・ルメット)でも、「早いとこ終わらせて帰ろうぜ」というノリで、陪審員8番以外の11人は「有罪」に票を入れていたのだ。

アメリカでさえ、気を抜いていると無実の少年が死刑になりかねないのなら、過去に一度アイデンティティを喪失した日本やイタリアはよほど気を確かに持っていないと流されてしまうのではないか。

正直なところ、もし私が『靴みがき』の登場人物のひとりだったとして、誰にも後ろ指をさされないまっとうな行動を貫けるか? と自分に問うたとき、胸を張って「はい」とは言えない。情けないことだが。

できることならば目を背けていたい自分の弱い部分に、映画を通じて向き合わせることがデ・シーカ監督の目的の一つなのだろう。

子どもが住みよい社会をつくるのは、何も政治家や裁判官だけの責任ではなく、我々ひとりひとりが自覚を持って日々を生きるべきなんだ、と訴えかけているような気がする。

『靴みがき』というあまり食指を動かさないタイトルの映画をなぜ観ようと思ったのかには理由がある。

私が敬愛する映画監督エルンスト・ルビッチが本作を観て、大変な衝撃を受けたらしいのだ。

「ルビッチ・タッチ」という本の、ルビッチの共同脚本執筆者だったウォルター・ライシュのインタビューの中でそれは語られている。

誠に勝手ながら、該当部分を引用させていただいた。
一九四七年九月、彼が亡くなるちょうど二ヵ月前、あるイタリア映画の特別上映会があった。白黒映画で、字幕もまだついていなく、ルビッチには監督の名前も初耳だったにちがいない。監督の名はビットリオ・デ・シーカ、映画は『靴みがき』だった。私とルビッチの他には四、五人もいたろうか。当時ルビッチの家に居候していて、この上映会を斡旋したビリー・ワイルダー、それにメアリー・ルース、マクシミリアン・エーデル博士。エーデル博士はその頃ルビッチと一心同体といってもよく、友人としてそばについていたが、じっさいは医師として、ルビッチの日増しに悪化する心臓の状態に注意深く眼を注いでいた。おそらく『靴みがき』の少年たちをとりまく環境がルビッチ作品の舞台となる贅沢な客間や光り輝く王宮の広間やウィーンのワインガーデンなどとはあまりにもかけ離れていたためかもしれないが、そこに描かれた戦後イタリアの荒廃はルビッチにとてつもない衝撃をあたえた。彼は映画のなかに初めて(そしてそれがまた最後ともなるのだが)人が生きることの悲惨さ、救いようのない悲劇の渦巻く社会、というものを目撃した。
映画が終わったとき、彼は生気を吸い取られたかのごとく、茫然とすわったままでいた。何も語らず、私たちのあいだで始まった議論にも加わろうとはしなかった。彼は自分の眼が見たものを信じたくなかった。しかし信じざるを得なかった。なぜならそれは真実であり、自分がそれを画面の上にまざまざと見たのは疑いようのない事実だったからだ。
その夜、かなり遅くなってから彼を家まで送っていった。ルビッチはそのときデ・シーカには電報を送るのではなくて、手紙を出そうと決心した。すぐれた翻訳者を見つけ、手紙をイタリア語にして送ろうとまで考えた。彼が無事手紙を書いたかどうか私は知らない。デ・シーカに訊けば、答えはわかるかもしれない。ひとつだけたしかなことは、ルビッチはそれ以外デ・シーカの映画は見ていないし、その後自分の映画も見ていないということだ。

(『ルビッチ・タッチ』 ウォルター・ライシュのインタビューより)

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Sciusucia / Shoeshine (allcinemaより一部転載)

監督: ビットリオ・デ・シーカ
製作: パオロ・W・タンブレッラ
原作: チェザーレ・ザバッティーニ
脚本: ビットリオ・デ・シーカ、チェザーレ・ザバッティーニ、セルジオ・アミディ、チェザーレ・ビオラ、アドルフォ・フランチ
撮影: アンキーゼ・ブリッツィ
音楽: アレッサンドロ・チコニーニ

出演:
リナルド・スモルドーニ
フランコ・インテルレンギ
アニエロ・メレ