松竹関係者へのインタビュー集。
1995年発行の本なので、鬼籍に入られた方も何人か。
とにかく顔ぶれがすごい。
目次順に有名どころを挙げていくと、

篠田正浩
山田洋次
岸恵子
笠智衆
橋田壽賀子
大庭秀雄
加賀まりこ
池田浩郎
谷よしの
西河克己
津川雅彦
武満徹
大島渚
木下惠介

さらに裏方さんへのインタビューもたっぷりと載っている。
皆さん、けっこう口さがない。(笑)
これ載せちゃっていいの? と読んでいるこっちがあせるような話もあったりして。

こういう人たちをまとめ上げて、なおかつ良い作品を作らなければいけない監督という商売はつくづく大変だなあ。。。

篠田正浩(監督)

(篠田)小津(安二郎)組に僕は応援で一本ついたことがあるんですよ。『東京暮色』。小津さんの映画は十一月中に封切らなきゃならないっていうので、「ネジ巻け」って言われて、会社側に。小津さんは「イヤだ」って。脚本家ともバッティングして苦労なさってた映画なんですよね。野田高梧さんとね。でまあ、僕は後半の追い込みにつかされて小津組の仕上げに入ったんですよね。オールラッシュが午前二時っていうので、大船会館(試写室)に城戸四郎がバタバタ二時に来た。ホントにみんなくたびれ果てている。僕は応援だしね。試写室の一番隅っこに行った。「さあ寝てやろう」と思って。そしたら「おい、篠田いるか」って言うんだ小津さんが。「はい」って言ったら、「お前、よそ者だからな、この映画客観的に見られるから、後で批評しろ」って(笑)。寝ようとしたのを読まれたなとは思ったんですがね。小津さんも急いで作って、ものすごく不安だったと思うのね。それにしても、ズバッと名指しされた時には、いやあ大船っていうのはえげつないとこだと思いました。

(山田太一)人を使うことの熟練みたいなことが、ずっと伝統としてあるんですね。

(篠田)「俺は、応援の助監督の動きまでちゃんと見てるぞ」っていうね。すごいデモンストレーションですよ。



山田洋次(監督)

(山田洋次)でも、結果として脚本の勉強をする機会を多く与えられたことになったんじゃないかな、助監督の中では。それは僕も望んでいたことだし、松竹では伝統的に脚本が書けないと監督になれないということが言われてたしさ。助監督をやっていた時に誰かに聞いたんだけど、新藤兼人がね「脚本を書けない監督は地獄やで」って言ったっていうんだ、それは肝に銘じているよ。

(山田洋次)『寅さん』の六作目か七作目の頃だったかな、岡山の松竹の映画館の支配人から電話が掛かってきて「あんた、えらい映画を作ってくれたな」って言うわけ、僕は最初悪口を言ってるのかと思ってムッとしたら「今お客が、帰りがけに千円を置いていった」って言うんだね(笑)、「こんなことは支配人になって初めてだ」と、そんなことがあってさ。悪口だけ言って、ほめる時は控えめに、あるいは黙っている、そういう評論家が日本には多いんだけど、本当に映画を楽しんでくれる民衆というのは評判の悪い時は作り手にはよく分からなくて、いい時には手放しに気持ちを表わしてくれるものだってことが分かったね。僕達作り手はね、評論家よりも、そんな民衆の声をいちばん大切に、また励みにしていかないといけないって思うよ。



岸恵子(俳優)

(岸)鶴田(浩二)さんはもちろん運転手つき、付き人つきのスターさんだから「あの子可哀想だから、車に乗せてやれ」とか言ってくださって、車に乗せてもらったら「君、いつまでも今のままでいなさいね」って言われて、「何でですか」って言ったら「君はきっととってもいいお父さんとお母さんの家に生まれたんだろう」「どうしてですか」って言ったら「君の靴をさっき見たんだよ」。私の靴をどうしたのかしらと思ったら、ひっくりかえしたら継ぎが当たってたんですって。裏打ち。踵が擦り切れてて、踵が直してあったんです。

(木下惠介監督『女の園』出演時のエピソード)

(岸)高峰秀子さん、秀子さん。私、秀子さんこわかったんですよ、すごく。唯一こわかった人でしたけど。

(山田)こわそうですね(笑)。

(岸)あの、私がまだ学生でいながら出た時に、ステージの中で卒業試験の勉強してたんです。ドラム缶の中に火がおこしてありますでしょ。

(山田)ええ、石油缶に炭を。

(岸)そうそう、あそこでこうやって教科書を見てたら、「撮影所で教科書なんか広げるようじゃダメよ」というようなことを言われて、こわかった。



笠智衆(俳優)、厚田雄晴(撮影監督)

(山田)『父ありき』の時は、注文が多かったんですか。

(笠)注文なんてもんじゃない。(小津安二郎)先生が決めた通りに動くだけ。こうやれ、こうやれってね。演技指導っていうより、こうやれって言われた通りに動くんです。そして、それで回すわけ、何回でも、できないとマガジンチェンジしてね。

(厚田)『父ありき』の時には、笠さんの後姿でフケた感じを出そうとしたんだけれどね、ファインダー覗いてて、「お前、分かるか」って言われて、分からないって言ったんだけれど、襟足の所がどうも若いんだって言ってました。笠さんにもキャメラマンになるまではいろんなこと言ってたんだけれど、キャメラマンになってからは、笠さんが困っていても言うわけにはいかなかった。見かねてそばに行って、「オヤジが言ってるのはこういうことじゃないの」って言ってるのが見つかると、「笠は笠でやってるんだ。よけいなこと言うんじゃない」って怒られる。



山田太一(脚本家)

若い頃の大島渚さんが、先行の大船作品について、「百歩ゆずっても木下恵介しかいないではないか」といったという。真偽は不明だが、私はリアリティを感じる。血気の監督も、木下さんには一目置いたはずである。昭和二十年代三十年代の木下作品の輝きには、気を励まして立向っても否定できない魅力があった。
私は時折若い人にいう。ためしに『笛吹川』と『野菊の如き君なりき』だけでいいから見てみろよ、と。これだけの作品をつくった映画監督が他にいるか? と。大船の話ではない。日本映画にだ。





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