破顔一笑するだけで、世界を幸福にできる女優はグレタ・ガルボくらいのものではないか。

ソ連よりの使者、鉄面皮の女ニノチカ(G・ガルボ)がついに笑うに至るまで、エルンスト・ルビッチ監督がどのように周到な仕掛けを施しているかを見ていきたい。

フランスはパリの大衆食堂で、レオン伯爵(メルビン・ダグラス)がニノチカを笑わせようと躍起になっている。

大体の流れは次の通り。

レオン、パーティージョークをかます

ニノチカ、笑わず

レオン、更なるパーティージョークをかます

ニノチカ、やっぱり笑わず

レオン「じゃあとっておきの」と前置きして、またまたパーティージョークをかます
(これを聞いた食堂の客全員がレオンに注目)

レオンのジョークに食堂中の客が大笑い
しかしニノチカだけは笑わず

「ほら、みんな笑って君だけが笑わない。君がおかしいんだ」
レオン、テーブルに寄りかかろうとする
ところがテーブルが壊れていて、レオン、派手にこける

食堂中の客、ふたたび大爆笑
レオン、ニノチカのほうを振り返ると…

ニノチカ、大爆笑!

…という流れとなっている。
これで、「Garbo laughs!」(ガルボ笑う)というキャッチコピーが成立したのだけれど…。

だが、これだとレオンは単に失笑を買っただけである。
果たしてニノチカは真に笑ったことになるのだろうか。

実はこれには続きがある。
引き続き見てみよう。

レオン「人の失敗がそんなにおかしいか」
このとき食堂の主人が「笑うのは失礼ですよ」というジェスチャーで客たちをいさめる

笑いが徐々に収まり、店内に静寂がおとずれる

次の瞬間、レオン自ら爆笑し出す

食堂は再び、爆笑に包まれる

ニノチカも2回目の爆笑

…この2回目の爆笑こそが、ニノチカが自らの意思で初めて笑うことを選びとった瞬間だと思う。

笑いというのは、TPOを間違えると命さえ落とすことがある。
特にソ連で生まれ育ったニノチカにとっては、いついかなる時も「笑わない」でいることがいちばん安全な処世術だろう。

ところがここに強敵が現われた。
レオンという男は、自分の失敗さえ笑ってしまえる度量の大きな人間だった。

レオンがこけたことによって起こった爆笑は、「人の失敗を笑っている」後ろめたさを伴っている。
それは洋の東西を問わず同じはずだ。

だから、いったんは「レオンをおもんぱかって」全員が笑いを収めた。
ところが当のレオンが、無礼講でいこうやとばかりに笑い出してくれた。
かくしてようやく心置きなく全員が笑えるようになったわけだ。

このエピソードにはさらに続きがある。
ソ連の役人たちが会議をしている最中、ニノチカが突然思い出し笑いをするのだ。

“あの"ニノチカが笑ったと、唖然とする男たち。
「ごめんなさい。昨日聞いたジョークがつまらないんだけど、なぜかおかしくって」

これはどういうことだろう。
昨日のニノチカはジョークを聞いているあいだ、クスリとも笑わなかった。
それがなぜ今ごろになって笑えてしまうのか。

これは私の勝手な解釈だが、ニノチカは昨日の感情を“リロード"しているのではないか。
「ジョークに全く笑わなかった自分」を消し去り、「レオンのジョークに笑い転げた自分」に脳内変換したかったのだと思う。

前日の爆笑により、ニノチカの心の氷壁が溶け出した。
そこで初めて、一生懸命笑わせようとしてくれたレオンの好意を踏みにじっていた自分に気づいたのではないか。

(厳密に言えば、レオンは好意というよりは意地で笑わせようとしたのだけれど、もはや恋に落ちているニノチカからしてみたら好意としか映らないだろう)

このさいレオンのジョークが面白いか、面白くないかは二の次だ。
ニノチカがどう「受け」るかが問題なのだ。
ニノチカが笑えば、それは面白いことになるのだ。

だから遅ればせながら、翌日になって「つまらないジョークを笑う」儀式が必要だったのだと思われる。
それをすることにより、晴れてレオンを全肯定している自分が出現する。

以上、なんの根拠もない適当な思いつきを述べてきたわけですが…、
一つ確かなことは、男にとって女の笑顔というのは、この上ない励ましになるということですね。

『ニノチカ』はガルボのための映画といっていいと思うが、彼女を「受け」るメルビン・ダグラスが抜群に上手い。

本作は二人のうちのどちらかが欠けても成立しなかった、ロマンチック・コメディの傑作と思う。

最近発売された書籍「ルビッチ・タッチ」によると、ルビッチがガルボに出演を要請してから実現に至るまで、実に7年の歳月がかかったという。

ルビッチとガルボというビッグネームをもってしても事はスムーズに運ばなかったということにまず驚く。

何はともあれ共演の夢はしっかりと形をなし、また傑作が一本この世に出現したことを素直に喜びたい。

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読んで下さりありがとうございます。


関連リンク : エルンスト・ルビッチ監督作品(いちおう年代順です)
★★☆☆☆ 『牡蠣の王女』(1919・ドイツ)

★★★★★ 『花嫁人形』(1919・ドイツ)

★★★☆☆ 『デセプション』(1920・ドイツ)

★★★★☆ 『結婚哲学』(1924・アメリカ)

★★☆☆☆ 『ウィンダミア夫人の扇』(1925・アメリカ)

★★☆☆☆ 『山の王者』(1929・アメリカ)

★★★☆☆ 『ラブ・パレード』(1929・アメリカ)

★★★☆☆ 上質な時間、『モンテカルロ』(1930・アメリカ)

★★★☆☆ 『陽気な中尉さん』(1931・アメリカ)

★★★★☆ 『私の殺した男』(1932・アメリカ)

★★★☆☆ 『君とひととき』(1932・アメリカ)

★★☆☆☆ 『極楽特急』(1932・アメリカ)

★★★☆☆ 『生活の設計』(1933・アメリカ)

★★★☆☆ 『メリー・ウィドウ』(1934・アメリカ)

★★★★☆ 『天使』(1937・アメリカ)

★☆☆☆☆ 『青髭八人目の妻』(1938・アメリカ)

★★★★★ 『ニノチカ』(1939・アメリカ)

★★★★☆ 『街角 桃色の店』(1940・アメリカ)

★★☆☆☆ 『淑女超特急』(1941・アメリカ)

★★★★★ 『生きるべきか死ぬべきか』(1942・アメリカ)

★★★★☆ 『天国は待ってくれる』(1943・アメリカ)

★☆☆☆☆ 『ロイヤル・スキャンダル』『クルニー・ブラウン』『あのアーミン毛皮の貴婦人』

<書籍>

「ルビッチ・タッチ」ハーマン・G・ワインバーグ(著),宮本高晴(訳)

Ninotchka (wikipediaより一部転載)

監督 エルンスト・ルビッチ
脚本 チャールズ・ブラケット、ビリー・ワイルダー、ウォルター・ライシュ
原案 メルキオール・レングィエル
製作 エルンスト・ルビッチ
撮影監督 ウィリアム・H・ダニエルズ
音楽 ウェルナー・R・ハイマン

キャスト
グレタ・ガルボ Ninotchka
メルビン・ダグラス Leon
アイナ・クレア Swana
ベラ・ルゴシ Razinin
シグ・ルーマン Iranoff
フェリックス・ブレサート Buljaoff
アレクサンダー・グラナック Kopalski
グレゴリー・ゲイ Rakonin
ロルフ・セダン Hotel_Manager
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