常にそばに置いておきたい一冊。
だらけた自分に活を入れてくれる本だ。

この本を読むと、掃除がしたくなる。
読書がしたくなる。
もっとがんばって生きたくなる。

高峰秀子本人が書いた本ももちろん良いが、さすがにご自身のことを書くときには遠慮や謙遜が筆を鈍らせるようだ。

高峰がさらっと流した一行の中に、どれほどの気配り、熟慮、思いやりが秘められているか。
高峰の養女であられる斎藤明美氏がじっくりと解説してくれる。

それからまた改めて高峰の本を読むと、前にも増して高峰秀子という人間の凄さを思い知らされるのだ。

一流の人間とはここまで凄みがあるものなのか。

世に人生の生き方を説いた本は多いけれども、書いた本人が本当に実践できているのか、ただ理想論を述べているだけではないのかと思わざるをえないものばかりが目につく。

だが、この本は本物だ。
それは高峰秀子が自身の生き方をもって証明した。

この本を読んでいると、まるで抜き身の刃を突きつけられているような気分になる。
それが不思議なことに実に心地が良い。

かくして今日も高峰秀子にたたっ斬られるために本書をひもとく。

(以下、引用)
こんな所で喋ってないで、うちへ帰って本でも読めッ

同ホテルのある店で高峰と編集者と昼食をとったときだ。「ここはご飯をお代わりできるのよ」、すでに小さな茶碗に盛られたご飯を食べ終えようとしている早食いで大食いの私に、高峰はそう気遣ってくれた。だがしばらくすると、高峰は仲居さんに合図して「こちらにご飯のお代わりをお願いします」と告げ、その仲居さんが去ると言ったのだ、「ここもダメになったわね。以前なら、お客が黙っていても、それとなく食べ方を見ていて、『ご飯のお代わりはいかがですか?』と聞いたものですよ」。
してみると、すでに二十年近く前から、このホテルも質が低下していたのか。
話を戻して、私の手帳には、その前日に「高峰さんにtel」と赤字で書き入れている。
そうだった。高峰と取材の約束をして日時を決めると、高峰は決まって私に言ったものだ、「前の日に電話してね」。
これは本来、取材を依頼した側が気を利かせて言わねばならないことだ。「前日に確認のお電話をさせていただきます」と。
今はメールが普及しているが、そのメールでさえ、よほど几帳面で気の利く編集者でなければ前日に確認の連絡は来ない。
高峰と仕事をしていた当時は手紙かファクシミリ、時間が迫っていてなおかつ相手にその場で確認したいときは電話だった。その確認の電話について高峰は、取材する側のこちらが言う前に、自分で注意を促す、実に行き届いた人だった。
人はうっかり約束を忘れることがある。
覚えていても、日時や場所を間違えたり、時には前日になって急な用が入ることもある。
それらを全て見越して、高峰は約束の前日に電話するよう相手に言うのである。
こういう一見些細と思われることの積み重ねこそが重要で、いい“仕事"に繋がる。
さて当日。私はホテルOのある店で高峰に取材した。高峰が初めて書いた脚本「忍ばずの女」について。
コーヒーを飲みながら、取材は一時間ほどで終わった。午後三時を少し過ぎていたと思う。
私が取材用のノートやテープレコーダーをカバンにしまっていると、高峰が私の背後を視線で示して、言った。
「見てごらんなさい。みんな女ですよ」
何のことかと思いながらも、私は高峰の言葉に促されて、振り向いた。
私の背後に広がる店内は、その百席ほどが殆ど客で埋まっていた。
なるほど女性ばかりだった。
それも中高年が大半の、そして場所柄、決して安くはない飲み物やケーキの代金を惜しみなく払えるであろう“奥さま"ばかりだった。
皆、一様に喋っている。周囲に注意を払うこともなく、笑って相手と喋っている。
その時、高峰が席を立ちながら、私だけに聞こえる音量で、しかしその鍛錬された口跡で、一言言ったのだ。
「こんな所で喋ってないで、うちへ帰って本でも読めッ」
悪戯っぽく、ニッと笑っていた。
「ハハハ」、私は思わず声を出して笑った。
だが、すぐに感じた。
高峰さんはわざと悪戯っぽく言ったが、これは真剣な言葉だ、と。
目が、笑っていなかった。
私は高峰と一緒にレジに向かいながら、様々なことを考えてしまった。
そうか。高峰さんは小学校にも満足に通えなかったんだ。だから小学校一、二年の担任だった指田先生が地方ロケに発つ高峰さんのために東京駅や上野駅のホームに走ってきて、汽車の窓から自分の幼い息子が使っている絵本を差しいれてくれて、それを汽車の中で見ながら独りで読み書きを覚えたのだ。初めて書店に足を踏み入れたのも、同じアパートに住んでいた大学生「川島のニイちゃん」が「秀子ちゃんも一緒に入ろうよ」と誘ってくれたからで、それまでは「私みたいなバカが入っちゃいけない場所だ」と高峰さんは思っていた。すでに十一歳になっていたのに。それがきっかけで、撮影の短い休憩時間でも読める岩波文庫の短編を読むようになった。しかし就寝前に布団の中で本を読んでいると、養母が「私への当てつけか!」と、頭上の電灯を消した……。
高峰さんにとって、本を読むことは“学ぶ"ことなのだ。
まだ高峰自身の口からそれらの過去を聞いていなかった私の頭の中に、高峰の著書から得た知識がぐるぐると渦巻いた。
私は、店を出るとき、改めて店内を見回した。
皆、喋っている。ある者は声高に、ある者は身をよじって笑いながら……。
その時、私は、それまで何度も見慣れているはずの光景が、生まれて初めて、ひどく白茶けて見えたことを覚えている。
そして当時まだ重い病気に苦しんでいた郷里の実母が、かつて言った言葉を思い出した、「あの人はええ身分や。ぎっちり喫茶店に行って人とコーヒーを飲みゆう」。
実母もまた、学びたい気持ちが叶えられなかった人だった。
喫茶店でお茶を飲んで喋ることが悪いというのではない。
だが、高峰秀子が言った言葉には、聞く者を刺すような、痛みがあった。
学びたくても学べなかった人間の、本を読みたくてもその時間すら与えられなかった人間の、自分の時間を他者に牛耳られ続けた人間の、そしてできれば今日という日を悔いない一日にしたいと願う人間の、叫ぶような切なさが、あった。
人は誰でも、老いて、死ぬ。
いつ自分の一生が終わるのか、誰も知らない。
本を読めば偉いというわけではない。
だが少なくとも、高峰秀子は、さしたる用件もなく人と会って喋るより、もし自由になる時間があれば、一人で本を読む。そちらを選ぶ人だった。
人の一生は、朝、顔を洗って歯を磨いて……、選ぶことの連続であり、その集積が人生だとさえ言える。
そのことを、高峰は知っていた。知っているだけでなく、片時も忘れなかった。
ホテルの喫茶店で私は恐らく千人近い著名人に取材したと思う。
帰りがけに、こんな言葉を漏らしたのは、高峰秀子ただ一人だった。
十四歳の時、引き裂かれるような思いで自ら退学することを選んだ学校の校庭で、高峰は決意する、「学校へゆかなくても勉強はできる。今日からは私の周りの人全てが私の先生だ」。
その時から六十年という歳月を経て、なお高峰は、確かに、人を見ていた。
何気ない日常の小さな一コマの中にも、人間のありようを、見据えていた。
次の一分、次の一秒に自分が何をしているか。選ぶのはその人自身である。
選んだ結果が、その人生であり、その人間を作る。
それを歳月は、残酷なほどに証明する。
時間の無慈悲を、高峰は知っていたと思う。
あの時、小さく笑った面差しの、しかし強く光っていた彼女の眼が、それを物語っていた。

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