「書けば書くほどうまくなるんだから、とにかく書け」
という言葉は、言われてみれば当たり前なんだけれど、なかなかそういう心境に自分を持っていけないもの。

本書は、シナリオに関して百戦錬磨のシド・フィールドが、素人がつまずきやすいところを先回りしてうまくフォローしてくれている。

さすが第一人者だけあって、言っていることは同じ「書け」でも、やみくもに焚きつけているわけでは全然ない。

「ここは今の段階は6割の出来でよい」
「ここに取りかかる下準備としてこれだけは押さえて」
「ここで注意すべきポイントはこの3つ」
などなど、秘中の秘とも言うべき極意を惜しげもなく分け与えてくれるのだ。

この人はジャン・ルノワールやサム・ペキンパーから教えを請うた人なので、かなりなご年配と思われるのだが、結構新しい映画もキッチリ押さえていらして、その点においても信頼に足るお方ではないかと。

脚本技術の手引き書として素晴らしいのはもちろん、机に向かう気持ちを奮い起こさせてくれるトリガー本として重宝しそうな一冊である。

(以下、引用)

失敗や間違いを恐れてはいけない。一ページ目から完璧なものを書こうなどと思ってはいけない。
自分のストーリーを語りなさい。
ジャン・ルノワールは言った。絵画でも、交響曲でも、小説でも、作品を創作することは、仕立て屋で作った新しい上着を試着するようなものだと。はじめて着た時には、なんとなくしっくりこない。だからあちこち詰めたり出したりして、体に合うよう作り直す。もう一度試着したときには、前よりよくなったように見えるが、それでも脇の下がきつかったりする。「しばらくその上着を着ていなければ、着心地はよくはならない」とルノワールは言う。
うまくいかなくても、下手でも、とにかく書きなさい。ぎこちなくて退屈な会話でも、書いてみなさい。この段階では、どんなに不自然で堅苦しくても問題ではない。
じっくり腰を下ろし、主人公・ドラマの前提・状況に焦点を絞って、最初の一〇ページを書きなさい。
「どんなに長い旅も、第一歩から始まる」のである。

映画は行動である。脚本は映像で語るストーリーだ。だから内にこもらずに、場面を転換し、外へ出なさい! 街に出て、ビルに入り、エレベーターに乗って、また、タクシーに乗り……。そうすればストーリーが開け、映像のテクスチャー(質感)が広がってゆく。
ストーリーを書き急いではいけない。最初の一〇ページでストーリー全部を書いてしまう人がいるが、それではそのあとに書くことがなくなってしまう。まずは自分のやり方、スタイルを見つけるための練習だと思いなさい。
どのみち、書いたものの七〇〜八〇%は書き直すことになる。第二幕と第三幕を書き終えれば、書き直す時には何をどうすればいいかわかるはずだ。だから、今は気にすることはない。ただ、書きなさい。三番目の一〇ページを書き終えたら、さあ次は第二幕だ。
脚本の執筆というのは、一ショット、一シーンを毎日コツコツ書くという地道な作業だ。そして書けば書くほど、うまくなっていくものである。
そのプロセスを楽しみなさい。

考えるべきことは一つ。それでうまくいくかどうか? うまくいけば使えばいいし、いかなければやめればいい。面白いアイデアや方向が浮かんだら、とにかく書いてみなさい。うまくいくかどうか、試してみるのだ。
「悩んだら、書け」と、セミナーの受講生にいつも口をすっぱくして言っている。このシーンは書くべきかと悩んだら、書きなさい。最悪の場合だって、結局うまくいかなかったことがわかるくらいのものだ。実際、あとから新しいシーンを加えるより、削るほうがずっと楽である。第一稿が一七五ページもの長さになってもかまわない。どっちにしてもあとで必ず書き直しが必要なのだから。ワークショップはあくまでも学習の場だと、私は受講生に言っている。だから進んで間違いを犯してみなさい。うまくいかなくてもとりあえず試してみる。そういう試行錯誤がなければ、脚本を書く技術を伸ばしたり、磨くことなどできはしない。

執筆中に「インスピレーション」を感じるのを待っている諸君に、一言いおう。残念ながら、そんなものは訪れない。インスピレーションなどほんの一瞬のものであって、長くても数分か、数時間で終わってしまう。一方、脚本を書くという行為は、数週間もしくは数ヶ月に及ぶ地道な努力と勤勉さがあってはじめて成り立つものだ。たとえば百日かけて脚本を書くとして、そのうちに十日くらい「乗ってる」と感じられたら、それはかなりラッキーである。百日どころか二五日だって「乗り」続けるなんて、まずありえない。とくに、第二幕を書いている時はそうだ。ある脚本家は乗りに乗って一気に書きあげた、なんて話を耳にするかもしれないが、それは夢にすぎない。現実にはありえないことである。
「そうはいっても……」とあなたは言うかもしれない。
だから何なのだ? ある脚本家はわずか一、二週間で脚本を書き上げて何百万ドルで売ったとか、友達のいとこはたった二日で脚本を仕上げた、なんていう噂話を聞いたからといって、それがどうだというのだ?
そんな話は忘れてしまいなさい。脚本を書くという作業は、毎日こつこつと、一日二、三時間、週に五、六日、一〇ページずつ書き続ける地味な行為なのだ。一つ一つのシーン、シークエンスを積み重ねていくのだ。今日よりは明日のほうがうまく書けると信じて。
また、“パラダイムの中に"いる時は、“パラダイム"が見えないものだということも、忘れないように。

書き直しが嫌だと言う人は多い。何ヶ月もかけて書いた初稿なのだから、バイヤーからプロデューサーに言われるまでは書き直したくないと言う。書き直し料をもらわなければ、書き直す気になれないわけだ。
これほど真実から遠いこともない。「書くことは、書き直すこと」という格言があるではないか。書いた脚本を書き直すことは、脚本執筆のプロセスに不可欠な作業なのだ。初稿で変更した部分を書き直したり、登場人物や状況をできる限り鮮明にして、可能な限り最高の脚本に書き換える。でなければこれまでの努力は水の泡だ。といっても、口で言うほど簡単な作業ではないのだが。好きかどうかは別として、書き直しは絶対に必要な作業である。議論の余地はない。そういうものだと受け入れたほうがいい。脚本を書くのは楽だなんて、誰も言わなかっただろう?

脚本を書きたいという人は多い。私に電話をかけてきたり手紙をよこしたりし、ワークショップにまで参加した挙句、わずか二、三週間後には、一言の挨拶もなしに姿を消す人も多いのだ。あきらめず本気で書き抜こうという根気がまったくない。行動こそがその人の人格なのだ。何を言ったかではなく、何をしたかで、その人の真価が決まる。
本当に書きたいのなら、書きなさい。
本書はそのための本だ。脚本を書くためのガイドブックであり、道具である。この本を百回読んでもいい。だが、実際に白紙に書き始めるまでは、頭の中で考えているだけであって、実際に書いているわけではない。
脚本を書くには、時間も努力も忍耐力も必要だ。それだけの決意があるだろうか。間違いを犯し、そこから学ぶ気持ちはあるか。うまくいかない時でも、何とか克服して最高のものを書こうという気骨はあるだろうか。うまくいかないものがわかれば、うまくいくものもわかってくる。
脚本の執筆で本当に重要なのは、実際に書くことだ。まず目標を設定し、どんなものを書こうか考え、各章末の練習問題を一つ一つこなしていけば、やがて目標を達成できるはずだ。それが脚本を書くということである。

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