真理を突く言葉が随所にあり、ドキッとさせられます。
ケータイ全盛社会にもの申す、などということは、
スポンサーありきで成り立っている芸能界ではタブーでしょう。

北野武さんは、大御所になったからというのではなく、
デビュー当時から、歯に衣着せぬ姿勢を貫いているのが凄いですね。

うわべだけの、耳障りのいい言葉でお茶をにごし、思考停止するのではなく
残酷でも現実を直視することが、本当の優しさなのかも知れません。
でも、よほどのテクニックがないと大ケガ必至でしょうね。
(2007年3月に幻冬舎より単行本が刊行)

※ 以下、引用です。
p60
早い話が、芸能界を目指す人間が1000人いたとして、
そのうち何人が飯を食えるようになるか。
せいぜい1人いるかどうかだ。
あとの999人は諦めるのが前提なのだ。
それでも、努力すれば夢はかなうと言えるのか。
そんな馬鹿な話はない。

p75
ナンバーワンじゃなくていいから、オンリーワンを目指しなさいというのも、
考えてみればかなり妙な理屈だ。
オンリーワンになれというのは、あなたにしかできないものを探せということだ。
そうすりゃ、競争なんて面倒なことはしなくて済む。
つまり、オンリーワンというのは、
「誰も競争相手のいない世界を見つけて潜り込めば、あなたも一番になれますよ」
と言っているだけのことなのだ。

p81
道端に綺麗な花が咲いていた。
昔なら家に帰って「母ちゃん、花が咲いてたよ」
と話すところだけど、今の子は携帯で撮って送信する。
道に迷っても、誰かに聞かずに、携帯のインターネットで調べる。
横断歩道を渡っているときも、喫茶店で誰かと話をしているときですら、
携帯電話にかじりついている若者がどれだけ多いことか。
携帯が脳味噌の一部になってしまったんじゃないかというくらい、
あらゆることに携帯を使っている。
そしてそのたびに、どこかの誰かのところに、世界中から金が集まっていく。
その誰かは、笑いが止まらないはずだ。

p105
生理学的にいえば、笑いは緊張からの解放だ。
『いないいないばあ』をすると、赤ん坊は必ず笑う。
顔を隠すと、赤ん坊はその人間が消えたと思う。
今までそこにいた人間が急に消えて、赤ん坊は緊張する。
その緊張が、『ばあ』と顔を見せてやることで一気に解放される。
そして笑いが生まれる。
大人の笑いも、本質的には同じことだ。

p116
「お前が困ったら、俺はいつでも助ける。
だけど、俺が困ったときは、俺は絶対にお前の前には現れない」
これが正しい。お互いにそう思っているところに、初めて友情は成立する。
昔助けてやったのに、なんで今度は俺のこと助けてくれないんだ?
なんて思うとしたら、そんなもの初めから友情じゃないのだ。
自分が本当に困っているとき、友達に迷惑はかけたくないと思うのがほんとうだろう。

p126
作法というのは、突き詰めて考えれば、他人への気遣いだ。
具体的な細かい作法をいくら知っていても、本当の意味で、
他人を気遣う気持ちがなければ、何の意味もない。
その反対に、作法なんかよく知らなくても、
ちゃんと人を気遣うことができれば、大きく作法を外すことはない。
駄目なヤツは、この気遣いがまったくできない。
人の気持ちを考えて行動するという発想を、最初から持っていないのだ。

p147
山に登るのに、山の頂上にヘリコプターで行ったって面白くない。
それと同じ話で、本を買うにしても、インターネットで買うよりも、
やっぱり本屋を歩くべきだ。
本屋には、くだらない本も、買いたくない本も並んでいる。
そこを、ぶらぶらと歩くことが大事なのだ。
買いたい本があって本屋に行っても、まったく別の本を買っていることがある。
そういう本が、意外とためになったりする。

p198
夜寝る前に台本を書いて、布団に入って目を閉じたら、
「よーい、スタート」でカメラを回す。
それでどんな絵になるか想像する力がない限り、
編集もできなきゃ、現場に行っても撮影はできない。
別に訓練したわけじゃないけれど、最初の映画からそうやって作っていた。

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