なぜ、バッティングはセンター返しが基本なのか、
なぜ、バックスクリーンは両翼より引っ込んでいるのか、
なぜ、税理士が電卓を叩くより速く、暗算で答えが出せるのか、
などなど、驚くような話が満載でした。

まあ、いちばん驚くべきは、落合氏を招聘しようとする球団が
(今のところ)ひとつもないということなのですけど…。
今シーズン、もしそうなったら、
解説としてどんどんメディアに出てきてほしいですね。
野球の面白さを、おそらくいちばんよく知っている人だと思いますから。

(以下、引用です)
例えば、1億円の利益を挙げようとする仕事があったとする。
ゼロから1億円の利益を挙げろと言ったら、どんなに一生懸命に考えても、どこかで壁にぶつかるだろう。
結果が1億円に満たず、9000万円になるかもしれない。
だが、1億円という答えから導かれるやり方は、必ずいくつかあるはずだ。
指導者は、こうした出発点(式)から答えを出すやり方と、答えから式に戻すやり方、
この二通りの方法論を常に頭に入れておかなければならない。
どちらが正しくて、どちらが間違っているということはない。
その仕事をしていく人に合うやり方、最もやりやすいと思われる方法を見つけて、
その人の持ち味を引き出して伸ばしてやるべきだ。

確かに、最近の若い選手に比べれば、私は質量ともに練習は積んだだろう。
それを見ていて「あいつの練習は、正気のさたじゃない」とか
「我々にはちょっと想像もつかないことをやっている」と言った人もいたが、
私は自分に必要だからやっただけで、ほかの人が何と言おうと関係ないと思っていた。
実際、私よりも長い時間、必死に練習した選手もいただろう。
ところが、結果が伴わなかった。
結果が伴わなかった人は「練習をしなかった」と表現されてしまうが、
実際にはかなり練習した人も多かったと思う。
今にして思えば、私より素質や潜在能力の高かった選手はたくさんいたはずだ。
ただ、その人の練習方法のどこかに欠点や間違いがあったから、
第一線に出てこられなかったのだと思っている。

これは、現在の日本の悪いところだが、例えば数年前の不祥事が明るみに出ると、
その事情をほとんど知らない人間が、「私たちの責任です」と言ってカメラの前で頭を下げる。
本来なら、不祥事を起こした当事者を連れてきて頭を下げさせるべきだ。
だが、みんな逃げてしまう。
前任者の責任は、仕事を引き継いだスタッフにはいない。
確かに、現時点での最高責任者は、仕事を引き継いだスタッフだ。
だから、彼らがすべて泥をかぶって頭を下げるのは、それなりに理解はする。
だが、不祥事を起こした人間は平気でシラを切って、
「俺は何も悪いことをしていない」と言わんばかりの顔で画面に映る。あれは最も始末が悪い。
見ている子供たちに与える影響はものすごく大きいだろう。

ペナントレースに臨むにあたっては、「自分を生かしてチームに貢献しよう」と考えていた。
「自分が犠牲になっても、チームの勝利に貢献したい」とか
「タイトルはいらないから、優勝を経験したい」という選手もいるようだが、私はそんな気持ちが理解できない。
どうして自分を生かし、その上でチームにも貢献しようと、一石二鳥に考えないのか。
私のように考えれば、自分の野球に自分で責任を持たなければならない。
練習では何と言われようと自分に必要なものを追求し、試合でいい数字が残せる状態をつくり上げる。
そして試合では、監督の采配に沿ってチームを勝利に導く努力をする。これが私のスタイルだった。
だから、四番を打てと言われれば打ったし、バントのサインが出れば走者を進めた。
また、ポジションだって一軍定着当時のセカンドからサード、ファーストと変わった。
自分で書くのも気恥ずかしいが、私は監督が最も使いやすい選手だったのではないか。
もし私が監督なら、自分のような選手がいたら一番使いやすいだろうと思っている。

現役時代の私は、シーズン前に抱負を聞かれると必ず
「三冠王を獲る。そしてチームを優勝させる」と言い続けた。
実際、三冠王を手にできたのは86年が最後だし、
タイトル自体も91年の本塁打王が最後になった。
しかし、その後も「三冠王を獲る」とは言ってきた。
これは、自分自身を精神的に追い込んだわけではないし、虚勢を張ったわけでもない。
「タイトルというものは、必ずその年に誰かが獲るものだ。
それなら、なぜ自分が獲ったらいけないのか」と考えた。ただそれだけのことだ。
(中略)
つまり、何度もタイトルを獲る人は、「獲らなければならない」と考えているのではなく、
「自分が獲るものだ」と当然のごとく考えているのだ。
メディアに対しては奥ゆかしく謙虚に、「結果がそうなった」と言ったかもしれないが、
実際は、最初から自分が獲るものだと思ってやっているはずだ。
一般社会でも同じことが言える。
最初に目標を掲げなかったら、良い仕事はできない。
最初から「この仕事は、うちの会社が取ってくる」と言って初めてそうなるのであって、
「この仕事が取れればいいな」くらいの気持ちで交渉に行ったのでは、実際に取れるはずがない。
(中略)
だから、仕事に取り組む場合は、どんな時でも“成功への青写真"を先に描く。
「仕事ができる」と言われる人はみんなそうだ。
見切り発車は絶対にしない。
そして、自分の目標をどうしても達成したいと思えば、当然、準備期間も長くなる。
遊んでいる暇などない。

何事においても基本がある。
仕事でも「基本は大切だ」と言われる。
プロ野球界でも、状態が悪く結果の出ていない選手には、「基本に戻りなさい」と指導する。
ところが、その基本は技術に関することだと思われがちだ。
(中略)
そうではない。
人間としての生活の中での基本、すなわち食事と睡眠から考えなければいけない。
もちろん暴飲暴食や寝不足などは論外だ。
生活を正すことから始め、それができたところで、
ようやくプレーの基本、サラリーマンなら仕事の基本について考えることができるのだ。

避けられるリスクを負うな。
それが勝負の鉄則だ。
気持ちのどこかにある冒険心は、ホームランを打たれても勝敗には影響しない場面で満たしてやればいい。
大切なのは、常に自分の置かれた状況を的確に分析し、避けられるリスクを負わないことである。

話は変わるが、王(貞治)さんは甲子園優勝投手という看板を背負って、鳴り物入りで巨人へ入団した。
そして、投手よりも打者としての素質を高く評価され、1年目から一軍の試合に出場した。
だが、開幕から26打席ノーヒットが続くと、ある記者から
「高校を出てすぐに使ってもらっているのに、この成績であせりはありませんか」と聞かれた。
それに対して、王さんはこう答えたそうだ。
「僕を使っているのは監督ですから……」
王さんは、豊かな素質と技術的な鍛錬だけで“世界の王"になったわけではない。
自分で納得できるプレーだけを求め、
余分なプレッシャーを背負わないメンタリティも持ち合わせていたのだ。

人生において、学校の試験のように満点の答案を書くことはできないだろう。
だからこそ人生は面白いのである。
自分の道を切り開いていくためには、苦しんだり悩んだりすることも必要だ。
苦しんで、苦しみ抜いて、そこでようやく答えが出て、明るい兆しが見えてくれば、それが自分の財産になる。
常に頭を使って考えていれば、どんなことでも道は開けてくる。
自分の探している答えは、必死になって見つけなければいけない。

何事も、できるだけその日のうちに、ある程度の答えを出して、それを次の日に試してみればいい。
ぶち当たった問題をその日のうちに処理し切れないと、それが段々積み重なっていく。
そうなってしまうと、行き着くところは“ヤケ酒"か。
グチや上司の悪口を言って、その時は気分爽快で家に帰っても、自分の中には何も残っていない。
そのツケは、必ず自分自身に跳ね返ってくるのだ。

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