最初のシーンから引き込まれました。
秋瑾(しゅうきん)という女性革命家が
市中引き回しの刑(?)に処せられています。

なんでも、この当時の中国には革命という概念さえ
なかったそうで、秋瑾は中国の歴史上、初めて
反逆罪が適用された女性ということになるようです。

その秋瑾にひとりだけにっこりと微笑みかける女性。
この「一人だけ」というのが何とも良かったです。
革命という概念がないのですから、このほほえみは、
秋瑾が為した行いに対しての賛同という意味ではないはずです。

しかし、感覚として「何か悪いことをした人」ではなく
「私たちの側に立つ人」という匂いを感じ取ったがゆえに、
思わず笑みを送ったのではないでしょうか。

秋瑾は、乳飲み子を抱いている女性に目をとめます。
秋瑾にも幼い子どもが二人いるのでした。
このときの彼女の顔に浮かぶ柔らかな微笑は、
革命の闘士からはほど遠い、ひとりの母親としての顔でした。

この映画は、辛亥革命が成功するまでを描いたもので、
孫文と黄興という革命派の二大巨頭。
迎え撃つ、老いさらばえた巨象、清王朝。
そして、この二つの間を上手く立ち回る
マキャベリストそのものの袁世凱。
まるで「三国志」を彷彿とさせる攻防が見られました。

黄興を演ずるのはジャッキー・チェン。
凄い迫力でした。それはどの役者さんにも言えることで、
扱われている題材が題材だけに、いつにも増して、
血が燃えたぎったのではないでしょうか。

戦闘シーンが半端ない迫力でした。
革命派の多くは若者たちで、服装は至って質素です。
王朝の軍隊も鎧を着ているわけではありません。

その二つの群れが、生身の体をさらけ出したまま、
ライフルを撃ちまくりながら、お互いの距離を狭めていくのです。
これは並大抵の胆力では出来ないでしょう。
私などは腰が抜けて座りションするのは間違いありません。

戦況は、革命派がかなり劣勢かと思われたそのとき、
ひとりの若者が、手榴弾を両手いっぱいに集め、
それをじっと見つめます。

まさか・・・?! と思った次の瞬間、彼は手榴弾を
胸に抱えたまま、敵集団の中に突っ走っていくのです。
このときの形相たるや、すさまじいの一言でした。

戦争映画は多々あれど、革命映画、しかもそれが
成功する映画を観るのは今回が初めてです。

日本の特攻隊などと決定的に違うところは、
戦争というのは徴兵制で、本人が好きこのんで
戦いに行くわけではありません。

特攻隊にしても、上からの命令で「死んでこい」と
言われたから、やむをえず突撃する、
という兵隊さんが大半だったでしょう。

ところが革命というのは、何もかもが自発的で
自ら死を覚悟して、自分の意志で戦いに臨むわけです。
この映画の戦闘シーンが迫力満点な理由は、
その辺から来ているのではないかと思いました。

観ていていちばん面白かったのは袁世凱です。
もう悪の魅力がプンプン!
怒り狂って、家中の花瓶をたたき壊すところでは
部下が次々と新しい花瓶を運んできたりして(笑)
なんか茶目っ気があるんですよねえ。

主人公の孫文は、映画ではそれはもう清廉潔白で、
非の打ち所がない人間として描かれていました。
観ていて、ホントにこういう人間がいるのかな?
と勘ぐってしまうくらい。

水を差すようなことを申し上げるのは恐縮なんですが、
以前、中村天風の本を読んだとき、
(この人は日本人で、第二次辛亥革命の手伝いをしました)
「トイレ一つ行くにも、お付きの者が五人くらい
後ろを付いてきて、その豪奢さと言ったらなかった」
という旨の記述があったと記憶しています。

まあ、私が勝手に映画から"孫文は清貧の人"という印象を
持っただけかも知れませんし、実際に孫文がとった行動は
私利私欲のまったくないものであったことに間違いありません。

「欲のない人間などいるわけがない。ガッハッハ!」
と高笑いする袁世凱に、私も激しく同意するわけですが、
孫文だけは規格外の大人物だったのでしょうね。

いちばん印象に残ったシーンは、黄興が戦のときに、
「黄興参上」の旗を高々と掲げて、広い大地を
軍馬を駆って疾走するところです。

ああ、やっぱりこういう生き方をしないとなあ。
自分の心の中にある旗はしっかりとたなびいているだろうか。

・・・そんなことを思わせてくれる大作映画でした。