小津安二郎先生の思い出 (朝日文庫 り 2-2)

この人ほどいろいろな監督から愛された
俳優もいないのではないだろうか。

とくに小津安二郎を語る上では
欠かすことのできない存在だ。

なんと小津作品には二本を除き、
ほとんどの作品に出演しているそうだ。

とは言え、毎回無条件に出演が決まっていたと
いうことでもなく、小津が脚本執筆のために
こもっている別荘まで足を運び、
出演約束を取り付けるまで
通い続けたということもあったらしい。

そんな話も、この人が語ると何だか生々しさが
抜け落ちて、滑稽に思えてくるから不思議だ。

全体的には朴訥なおじいさんの昔語りを
日当りのいい縁側で聞いているような
気分にさせてくれる本だと思う。

小津の演出方法が、俳優の自由演技を
まったく許さないものであったことは有名な話。

さしもの笠智衆も何度か反問したらしい。
意志をもたない人形じゃあるまいし
そうしたくなるのは当然と思うのだが、本書で
それは間違いであったと述懐している。

小津映画においては、役者は自分の考えを捨て、
あくまでも小津の理解者に徹するべきであったと。

腹の底からそのように割り切れたからこそ、
どの監督からも愛されたのだと思う。

いちばん自分を殺すことのできた役者が
いちばん監督に活かされ、多くの観客に
愛された。一見、逆のような気がするが
それが世の中の実相なのだろう。

「男はつらいよ」で御前様だったお人は
実人生においても貴重な教えを
無言のうちに説いてくれていたのか。

昔も今も、僕は自動車が苦手で、
車で送り迎えしてくださるという時も、
丁重にご辞退し、電車で通います。
さすがに最近はそうはいきませんが、
ずいぶん長いこと、自転車を愛用していました。

生まれながらの口べたが、長い大部屋暮らしに
つながったのかもしれません。
自分ではそれほど思わんのですが、
ずいぶん損をしていると言われました。

家のことはずっと、すべて家内まかせです。
僕はモモヒキがどこにあるかさえ知りません。
「おい」で、全部済んでしまいます。
考えてみれば、家内の名前を呼んだことは
ないかもしれません。家内のほうも、
結婚してからも僕を「笠さん」と呼んでいました。
子供ができてからは、「お父さん」です。
昔の夫婦はそんなもんです。

このロケ(『若き日』)では
スタッフのお手伝いもしました。
日の光を反射させて俳優の顔を明るくする
レフ板持ちをやったりしたのを憶えています。
こんなことをしたのは、
小津組の撮影の時だけだったでしょう。
ただ、あまり出しゃばると、スタッフに
「素人が手を出すな!」と怒鳴られるので、
ほどほどにしていましたが。

僕ほどいつもダメを出され、
何回もやり直しさせられた俳優は
他におらんでしょうね。出演させてもらうたびに、
「もう終わりだ。これで落第だ」と思いながら、
どういうわけか、ずっと使っていただいたのです。

サイレントからトーキーになる時、
やめていった俳優さんも多かったようです。
立ってるだけなら絵になるが、台詞をしゃべると
ダメになる人もたくさんおりました。
僕は、トーキーになって
「しめた」と思ったくちです。
表現方法がひとつ増えたと考えたからです。


小津安二郎先生の思い出 (朝日文庫 り 2-2)
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