この映画は劇場公開版と完全版の評価が
まっぷたつに分かれているようだ。
それもやむなしと思えるほど映画の印象が違う。

ちなみにワタシは「劇場版→>完全版→劇場版」
という順番で観た。
この映画はどういう順番で観たかによって
評価がまるっきり変わると思う。

どちらか一方しか観ていないという人は、
比較する対象がないので本作の評価は
おおむね高いと思われる。

問題は「劇場版→>完全版」と観た人だ。
これはもうボロクソにけなす人が多い。

原因はおそらくエレナの描かれ方だろう。

※ここからネタバレあります

劇場版には出てこない「中年になったエレナ」
が>完全版では登場する。
(厳密に言うと、劇場版の
エンドロールにチラッと登場している)

劇場版のエレナは、トトの熱烈な求愛を
受け入れ相思相愛になるものの
結局別れて、それ以降は出てこない。
(厳密に言うと、キスシーンを
つなげたフィルムの中でチラッと登場)

そのへんはけっこう唐突な印象ではあるが
(二人が別れた理由がまるごとカット
されているからしょうがない)
劇場版を観た人にとってのエレナの印象は
「トトの初恋の相手で、上流家庭の美少女」
といった感じだと思う。

それなのに、である。>完全版には
50歳のエレナが登場するのだ。
そして「あのとき実はああで、こうで、
そうだったのよぉ。いや〜ね」なんて言われても
こちらとしては「何を今さら」である。

なにしろ観客それぞれが思い思いの
「トトとエレナの別れの物語」を脳内で
勝手に作り上げてしまっているのだ。
しかも自分自身の思い出と重ね合わせて。

それがあろうことか、>完全版を
観てしまったがために、脳内に甘く切なく
美化されたエレナ像が儚くも崩れ去ってゆく。
こりゃ怒り心頭にもなるわけだよ。

そして劇場版でカットされていたエピソードに、
トトとエレナの恋路を邪魔したのは
実はアルフレッドだった、というのがある。

それがあったからアルフレッドは死ぬ間際でさえ
「トトに会いたくない」と言ったのだと思う。

もしかしたら自分のしたことに対し
後年になって後悔に至ったのかも知れない。

この部分も、劇場版しか観ていないと
「二人はあんなにも親しかったのに、なぜ
『会いたくない』なんて言うのだろう」
という疑問をもたれるかも知れない。

中年トトが、検閲でカットされたキスシーンを
つないだフィルムを観て涙ぐむ場面がある。

いくら映画監督になるほど感性が豊かとはいえ、
泣くことはないだろうに。
これではただのキモいおじさんである。

だが、>完全版のほうだと理由を
つけられないこともない。

上記のように、アルフレッドが意地悪(?)を
しなければトトとエレナのその後は
別のものになっていただろう。

その別のものこそが、恋の成就の祝祭映画
ともいえる「キスシーンフィルム」である。

あのフィルムこそが、トトとエレナの
「もしもの世界」なんだと思う。

次々に現れては消えてゆくさまざまな愛の物語の
絶頂において、熱烈な口づけを交わす恋人たちは
トトとエレナのなし得なかった
未来であるとも言える。

アルフレッドは、二人の可能性を
奪ってしまった謝罪の意も込めて、
約束のフィルムをトトに返したのだろう。

あのフィルムに、あえてアルフレッドは
エレナの映像も混ぜている。
このことからも、そうだと思いたい。

そして、その気持ちを受け取ったしるしとしての
トトの涙…という解釈もできるのではないか。

以上のように、劇場版はわりと雑な
ハサミの入れ方をしたがために
焦点がぼやけてしまったきらいがある。

だから編集したのは、絶対に監督ではない、
賭けてもいいーーーそう思ってウィキを
読んだら監督本人だった。賭けなくてよかった。

とにかく>完全版を観た後に劇場版を観ると、
いろいろとほころびが目についてしまう。

ではなぜ劇場版は世界で絶賛されたのだろうか。

理由はいくつか考えられる。

まずはエンニオ・モリコーネの音楽。
色の白いは七難隠す。曲のいいのは八難隠す。

それからトト少年の笑顔。
あの笑顔をポスターやCMで見てしまったら、
さすがに批判しづらいのではないか。

子供の無邪気な笑顔は、水戸黄門の印籠よろしく
不可侵領域なのかも知れない。

それから、あえて単館で上映するという話題作り
(日本限定。ここから妄想に入っていきます)

おらが街でもやっている映画は有り難みがない。
しかしこの映画は当時、銀座まで
行かないと観られなかった。

「ヒマだから映画でも観るか〜」という人は
そこでほとんど弾かれる。

「ニュー・シネマ・パラダイスが観たい!」
という人しか観られない。

結果、観られただけでステイタス獲得、
満足、いい評判しか伝わらない。
悪く言えない雰囲気が長期間続く。少なくとも
ロングラン記録を更新しているあいだは。

そういうモロモロの下地があいまって
名作の評価を得るに至ったのではなかろうか。

それが>完全版が発表された瞬間から、
酷評しだす人が出始めた。

もちろんワタシも劇場版→>完全版
を観た時点ではそうだった。

「>完全版なんて余分な説明が付け加えられて
冗長なだけだ。劇場版で充分」

そういう人が多いからこそ今回の
<午前十時の映画祭>では>完全版ではなく
劇場版を上映したのだと思う。

ただ、どちらを上映するにせよ
「映画の黄金時代(1950〜70年代)を
中心に優れた外国映画50本を厳選し…」
という<午前十時の映画祭>の主旨からは
かけ離れていると思える1989年発表の本作を
あえてコンセプトを無視してまでラインナップに
加える必要があるのかを考えたとき、
頭の中をはてなマークが飛びかう。
うーん、人気作品だからかなあ?

それにしても、映画の中とはいえ、
人が丹精込めて創った作品(フィルム)を
無造作にジョキジョキと切り刻んでいくさまには
ある種の戦慄を覚えてしまう。

それだけでは飽きたりないのか、挙句の果てには
監督自ら作品にハサミを入れるとは、
あまり笑えないオチまでついた。

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