岡田武史監督と考えた「スポーツと感性」

この表紙、宗教勧誘のパンフレットにも
使えそうである(冗談です。ゴメンナサイ)。

南アフリカW杯以来、岡田武史監督のことが
知りたくてこの本を手に取った。

後出しジャンケンで申し訳ないが、
やはりこの人は紛うことなき名将だと思う。

とにかくその努力を怠らない姿勢、向上心、
人脈の広さ、博学ぶりに驚かされた。

理論派でありながらも、感性を大切にし、
どちらかに溺れるということがない。

指導者として、そして日本代表監督として、
この人以上の適任者はそう簡単には
見つからないだろう。

2014年W杯もこの人に指揮を
執ってほしいと切実に思う。

本書は志岐幸子氏と岡田武史氏の対談を中心に、
イチロー、山下泰裕、井村雅代を始めとする
各界の有名スポーツ選手やコーチのインタビュー
、名言などがちりばめられている。

志岐幸子氏は「感性ラボ」の主宰者と
いうこともあってか、対談のかなりの部分を
「気」「フロー」「ゾーン」に割いている。

私見で申し訳ないが、このへんはいくら
研究しても明確な答えは出ないような気がする。

たとえば競馬で大勝ちした日に
「今日は勘が冴えていた」と思っても、
それは結果が出たからただ何となく
そんな気がしているだけだ。

本書でも、金メダリストの
「あの日はなぜか試合の前から絶対勝てる
確信がありました」などという発言を、
何か至高体験のごとく扱っているけれど、
それも後付けに過ぎないと思う。

ある陸上選手が、オリンピック前に
「私、負ける気がまったくしないんです」
と発言し、残念ながら結果が伴わなかった
ということがあったのを覚えている

そういうのは都合良く
記憶から消されてしまうものだ。
だいいち、敗者の言葉には
誰も耳を傾けようとしない。

それからシンクロナイズドスイミングの
井村雅代コーチも、この本では名指導者と
なっているが、これには疑問を呈したい。

その理由は次の発言である。

私高校生にこう言うんです。
(手で三角を作りながら)今、三角でしょ。
「これ、私がマルって言ったら
『マル』って覚えなさい」って。
「『三角です』って主張するんじゃないの。
人の言葉にはまれ」って言うんです。

…例えが極端すぎるとは思うが、
これではただの暴君ハバネロである。

選手は表面上は納得した素振りを見せるだろうが
果たして内心では「理屈も説明できないのかよ」
と軽蔑しているかも。

もちろん井村コーチは、今後
なおいっそうの大活躍をするかも知れない。

そしたらワタシの目は節穴だったということで、
そのときは思いっきりバカにしていただきたい。
ここにジャンケンを先出ししておく。

何だか、sage系のエントリになってしまったが、
全体的には非常に良い本だと思う。
かなりのオススメ。

読み終わったときには、付箋が
何十枚も貼られていた。(以下、引用)

僕が小学校で野球していて、当時、誰かが
樸のことを見て、「お前は特別だ」なんて、
絶対言わなかったはず。なのに、今、子供が
僕の真似をしたら、「そんなの無理だから」
なんていうやつがいるんですよ。
それが、すごく残念ですよね。(イチロー)

ただ自分の命をかけるという感覚はあります。
大事な試合の前では、この試合でもう
命を落としてもいい、
そういう感覚でやっています。(山下泰裕)

私はもう闘いは十分だと思っています。
私はたくさんの選手たちの夢を打ち砕いて
きましたが、これからは、私に負けて
夢を打ち砕かれて無念の気持ちや怨みに
思っている人たちが「俺は山下と闘ったんだ」と
誇りに思える、そんな生き方をしていきたいと
思っています。(山下泰裕)

1対100の理論というのがあって、社長が
「ちょっと、これぐらいいいだろう」と、
一つ気を緩めたら、従業員は100緩んでしまう。
トップというのは、だからトップであり、
大変なんだ。(岡田武史)

よく試合前に言うのは
「今、おまえらは急にマラドーナにはなれない。
今日急にうまくはなれない。
おまえらが今日できることはお前らが
今持っている力を100%出すことだ。
それ以上のことはできない。
それをやっても負けることはある。
それはしょうがない。勝負なんだから。
ただ、たいがい自分の持っているものを
全部出したら相手は100%は出せない。
そうするとたいがい勝つものだ。
だからおまえらが100%出すことが
一番大事だ。」(岡田武史)

スポーツにおける「感性の力」の発揮には、
スポーツそのものに対する情熱、道具や自然、
観客に対する愛情が欠かせません。愛情は、
脳科学者の故松本元氏によれば、「脳を
活性化する最大の快情報」です。(志岐幸子)

Jリーグでユースからプロに上がってくる選手を
見ていると、皆よく似たタイプ。センスがある、
うまい、ところがどこか煮え切らない。
「勝つためにがんばってやるぞ」という
バイタリティがない。ここからそこまで
ダッシュしろと言うと、途中でふっと気が抜ける。
全力を尽くすことができない。
やれと言ってもできない。
コミュニケーション能力が低い。しゃべらない。
「全員で声を出して」と言っても
ほとんど出してない。(…)
サッカーをやる以前に、親と食事をするとか、
友達と遊ぶとか普通の人間としての
コミュニケーションをとって基本的なことを
やっていないと駄目だと思う。(岡田武史)

やたらまじめなやつ多くない、最近?
まじめでもいいんだよ。
言うことをなんでも聞く子もいいよ。
でもそれってある意味自分で何にも
考えないってことだよ。(…)
俺が「指導者の仕事は、育つ育てるよりも
気づく気づかせるだ」っていうのは
そういうこと。(岡田武史)

日本対ナイジェリアの試合のときだね。
合宿していた小学生の選抜された子供たちに、
解説をしながら見せていた。
そのとき皆ノートをとるの。(…)
そうやって一生懸命ノート書きながら、
「ちょっと質問していいですか」って言うから、
「いいよ。なんだい?」って聞いたら、
「ドリブルうまくなるためには
どうしたらいいですか」って。
「いや、おまえ、そのためには
ノートとるのをやめて、ドリブルうまい選手の
プレー見ろよ!」(岡田武史)

「僕はサッカー嫌だなあ」と
思っていたら絶対うまくならない。
「よーしやってやろう」と思わないと。
だから「エンジョイ」ってことを
大事にしている。(岡田武史)

何のために、サッカーの指導者をやっているか。
そしてこの「何のために」というのは、
「自分が名将になりたい」とかいう
レベルのエゴではダメなんだと思う。
よくわからないけど、たとえば「選手、
スタッフ、そしてその家族、ひいては
サポーターを幸せにしてやりたい」などという
ものでないとダメなんだと思う。(岡田武史)

参考文献
「感動をつくれますか?」久石譲
「自己を語る身体表現」島崎徹