今これを読んでいるアナタは当然映画版を
観たことがあるという前提で書きます!

映画版との違いをいくつか挙げてみたい。
映画では、被告の少年のアップが印象的だった。
あのえもいわれぬ表情は忘れがたい。
戯曲版では全く登場しない。

まずは陪審員の性格設定から。

七号(落ち着きのないヤンキース男)のト書き。

「他の人々に劣等感を抱かせてよろこぶが、
実は彼自身内心、劣等感にとらわれている」

映画ではあまりそれを感じなかった。
ただ、別の性格付けがされている可能性もある。
ところで、彼はセールスマンだったのか。
戯曲を読んで初めて知った。
映画では明かされなかったはず。

十二号(黒縁メガネの広告マン)

「人間を事実上の数字としてとらえており、
人間に対する真の理解は全く持っていない」

こんな性格設定が為されていたとは、
映画でも戯曲でも気づかなかった。
どこを見ているのか。洞察力がなさ過ぎ(泣)

映画になかったセリフがいくつもある。

四号(株のブローカー。年収高そう)

「みなさん。われわれは実際に
あの女性のアパートへ行き、通過中の
電車の窓越しに向こうを見ました」

これもそのひとつ。このセリフから推察すると、
陪審員は事件現場を見学する義務があるようだ。
アメリカでは陪審員に選ばれると
ここまでしなきゃいけないのか。

本書の前書きで、レジナルド・ローズが、
実際に陪審員に選ばれたことを、
まるで貧乏くじを引いたかのように嘆いている。
うーん、分からないでもない。

一番大きく異なっている点は、少年が
走り去っていったところを見たという老人の
証言の信憑性について議論を戦わせる場面。

老人の言っている事が正しいと証明されれば、
有罪確定の強力な証拠となる。

ベッドから起き出し、ドアを開け、廊下を歩き…
の所要時間に、老人は15秒かかったと証言。

八号(映画版は建築家となっている。戯曲版は
言及なし。そもそもトイレのシーンがない)
が、シミュレートしてみると39秒だった。
(ちなみに映画版では41秒になっている)

映画版はこの問題をこれで終わらせているが、
戯曲版のほうではクレームがつく。

少年のほうだって父親を殺してから
外に駆けだしていくまでに15秒以上
かかったのではないのか、と言うのだ。
(なるほど、理屈である。映画を観ていても
全然そこに思い至らなかった)

で、こちらも実験してみたところ、
結果は29秒。39秒と29秒では
10秒しか違わない。

老人が少年を見たというのは
勘違いだったとは言い切れなくなる。

これで有罪を主張する第三号(宅配便会社社長)
は大喜び…といきたいところだが、
この論理は諸刃の剣で、
「老人の証言は信憑性に欠ける」
と認めることにもなってしまう。

この後も八号の演説は続くが、
それほどの説得力は感じない。映画版が
ここをバッサリ切ったのは正解だと思う。

ところで七号(ヤンキース男)の口調が面白い。
「〜だっての」「〜なんだよな」
翻訳の額田やえ子さんは、ビートたけしを
モデルにしたのではないかと最初思った。

しかしこれはまずあり得ないことが、
調べてみて判明。本書の初版が1979年3月。
1979年といえば、まだ空前の漫才ブームが
起こる前で、よほどの演芸ファンでない限り、
当時ビートたけしの名を知る人は少なかったと
思われる。以上、どうでもいいことでした。

まとめ。。。
人というのは、同意見の人間と群れたがる、
ということが身に染みて分かった。

反対意見を言われようものなら、
まるで自分の存在が否定されたような
気になってしまったりもする。

討論しているうちに熱くなってしまい、
理屈などそっちのけで相手を
言い負かさずにはいられない。
(2ちゃんねるでよく見られる光景ですね)

最後まで有罪側だった第三号は、
まるで自分を見ているかのようだった。

反対意見こそ、耳を傾けなければいけない。
頭では分かっているのだけれど
感情がどうしても納得してくれない。

そして意地になればなるほど
ドツボにはまってしまう…
自分で書いていて耳が痛いですが。(笑)

どのように意思疎通をはかるか、
何と言って説得すればいいのか、などの
コミュニケーションの教科書としても
実に有用な戯曲であることは間違いないと思う。

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